東大分院への見舞い

書き出しは決まっている。構成もあらかた決まっている。ただ「その医師を表す単語」が降りて来ないのと、ラストシーンがぼやっとしている。もう締め切りなので書き出すしかない。

次のドクターの肖像の物語の最初のシーンを頭の中で組み立てていたら、ふと我が父が蘇ってきた。

ぼくが小学生2-3年の頃、父は開腹手術を受けた。胃かいようが初期診断だった。その時なのか、あとで聞いたのか「内視鏡というのが飲むのが大変だった」という話を覚えている。当時は1968年か69年だから、まだオリンパス内視鏡もでっかくて飲むのが大変だったし、まだ単なる検査道具だった。内視鏡で生検はおろか手術ができるのは40年後だ。当時はお腹を開けてそれから決める時代だった。

病院は目白台にあった東京大学分院である。実家から歩いて15分くらいのところだ。やたら敷地が広くて木々が鬱蒼としていた。看護婦寮のそばに門があり、それが病棟への近道だった。見舞いに行っては退屈するぼくに母はトミカやサザエさんのマンガ本を与えた。ぼくは病室から廊下に出てマンガを読んだり、階段の手すりでトミカを滑り落としていた。

なんとなく不安だった。

なにしろ分院の建物は薄暗くて湿っぽい。父の具合はわからないが大きな手術だ。思い出していたのは、それより数年前のいとこの死である。先天的な心臓弁の奇形だった。同じ年のかわいい子と遊んでいたと思ったら、ふっといなくなった。

父は手術を受けて、幸いにもがんではなく良性だった。胃を半分かそこら切除して、お腹に縦20センチちかい傷をつくって生き延びた。このぼくの父の姿と、今回原稿にする医師の父はどこか似ていて、どこかが違う。だからそのあとの人生も違う。それがわかってきたら、その医師が見えてきた。

彼にあるのは覚悟である。しょせんは人は死ぬまで生きるだけという達観である。なるほど!つながった。きっと良い物語になる。そうしてみせる。出版後に読んでもらえたらわかるが、偶然の一致にしてはできすぎな事情があった。ぼくは意外にも医師のことを書くのが定めだったのかもしれない(てことはないな笑)。

ようやく本が読めそうだ…(心の嵐のせいでここ数日、文が読めなかった)

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