『東京物語』は職人芸である。

創作がひと段落して二、三日ぼっとしてた。ようやく昨日の明け方にすべきことが見えてきた。ひとつは『シナリオの基礎技術』の再々読。もうひとつは小津安二郎である。

私の創作『ビーイング•トランスジェンダー』を査読していただいたS女史からさっそくメールが来た。「これは大傑作です!!!!」というお褒めの言葉はともかく、主人公竹次郎の最初の言葉と最後の言葉のつながりが読めないという指摘をもらった。最初は自分がかわいいトランスもどき、最後は成長した真のトランスへ。この人物像の変化がまだ書き足りていないという。致命的じゃないか(^^;)。どう改善すればいいか?

そこで『シナリオの基礎技術』を再々読すると、次の言葉があった。

ここ(起)が悪いときには、その脚本がわからない症状を示します。

物語の構成「起承転結」の「起」に問題があるという。そこで竹次郎の成長前のエピソード、成長への気づきへの道標になるエピソードを全て改めることにした。また、いったん没にした「釈尊の話」も導入しようと決めた。そう思い当たったのは小津安二郎監督•脚本の『東京物語』を観たからだ。

先ごろ来日していた映画監督ヴィム•ヴェンダースが『東京物語』を絶賛していた。彼は小津映画フェチだ。彼いわく、小津は「子どもと親の間の本質的な関係性」を描いている。ヴェンダースの言葉が響いたので、創作が一段落したら観ようと思っていた。しかもネットで無料視聴ができる。感謝。

1953年作品『東京物語』は職人芸であった。

まずローアングルの映像がいい。もっとぐっときたのは遠景である。バスや人や船など必ず何かが動いている。意味のないシーンがひとつもない。尾道から東京に出た子はそれぞれ独立している。父と母は夏に東京にやってくる。子の家は医者だったり美容室だったりで忙しい。老いた父母の相手をしきれず邪魔扱いする。戦争未亡人役は原節子である。死んだ息子の嫁は、死去8年後の今も亡夫を思い一人住まいである。ひたすら義理の父母に優しい。ああこれは「家族物語だ」と気付かされた。

小津は、戦争未亡人の優しさを描きながら、最後にそれをいったん崩してみせる。崩したところで「人間というものはこうじゃ」と本質に触れる。このラストには時代を超えた永続性がある。

人物像を描くことは簡単ではない。分かるように描き過ぎると平板になり、謎ばかりだと謎で終わる。人物を分からせ、そう信じ込ませて、最後に裏切る。裏切るが人間の本質を提示することで、テーマの普遍性を封じ込める。これを職人と言わずなんと言おう。

そして、このラストには私が没にした「釈尊の話」が下敷きになっていると直感した。私はこういうことには鋭いのでまず間違いない。それをうまく盛り込めば、S女史のご批判に応えられる。小津ほどの職人芸では無理だが、間違いなく良くなる。あともう一人二人の査読ご批評を待って、相当良い創作にできると信じております(^^)

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