超今さらなんですが、英語を勉強する意味を改めて考えた。
どちらかといえば英語の勉強は苦労する人の方が多い。何年やっても身に付かないのは、漢文の勉強みたいに文型や文法からやるせいだとか、小学校から会話学習をすべきだとか、喋るのはたった100語で十分だとか、聴くだけでいいとか、どの説も主張もごもっともである。でもよく言われてそして最もハードルが高いのはこれだろう。
「英語で考える英語脳をつくりなさい」
英語で考えられたら世話はない。幼少から英語環境で育ったなら別だけど。だけどまあそれを目指すわけである。
ではいったい英語脳ってなんだろう?「英語で考える」とは日本語と違うのはわかる。何しろ日本語とはまったく違う文字、単語、文型、発音、抑揚なのだから、違う脳がほしい。つまり私たち非英語人は、英語の読み書き聴き話しをするとき、脳は日本語から離れて、英語寄りになろうとしている。
では「英語寄り」ってなんだろう?それは日本語に足を付けながらも、腕を伸ばして英語に手を付ける。あたかも太平洋のまん中の空中に上げた気球から両国を見るように、言語を往き来させて「俯瞰する」とも言える。
つまり英語は「大きな視点をもてる言語」でもある。
英語は世界につながる言語である。日本語の本も翻訳は多いけれど、英語への翻訳の比ではない。日本語は内側に閉じている言語である。井の中の蛙になりやすい。この違いはでっかい。
もうひとつある。サッカー用語で「サッカーブレイン」という言葉がある。ゲームを大きな視点から見て、最も攻撃または防御しやすい位置を判断して動く脳である。イングリッシュブレインという造語をするなら、それは「いかに世界で戦うか?」を判断し行動できる脳ということになる。
英語脳とは俯瞰視点を持つことであり、戦う行動エンジンである。そんなこと書いてる間に英語の勉強をせい…(笑)
しかし寒い…^^;;
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