躁鬱病のどくとるマンボウが心の底で思っていたこと。

いったいどれほどの人が「どくとるマンボウ」で心の病にならずにすんだだろうか。きっと何百万人もいる。それほどユーモアの力は偉大なのだ。

今、取り掛かっているドクターのインタビューで、本書『どくとるマンボウ医局記』が語られた。北杜夫氏の最後のどくとるマンボウ本だという。僕はどくとるマンボウの影響もあって、文の世界に引きづりこまれたので、もちろん航海記、青春記、昆虫記は読んだし、氏のまじめな本(幽霊や楡家の人々や狐狸庵先生との対談等)もいっぱい読んだ。何しろ青春記は学校の図書館から失敬してついに返却しなかった。まあ正式な借り出しはしておらんので返す必要もなかったのだ。

ところが不覚にも「医局記」はその存在すら知らなかった。医療モノには強いはずだが足元を救われた感じで、北氏も逝去されたので印税はいらんだろうから、新本を買わず地元の図書館で借りてきた。これは返します(笑)。

さっそく読み出してみると、東北大学医学部を卒業、慶應大学の精神科医局に入局したのが1952年、昭和27年とすっげえ昔話に聞こえるのだが、ページをめくればさにあらん。素直にゲラゲラ笑える。電車の中で腹をかかえちまった。そこにあるのはドクターや患者たちの「狂人のごとき」人間モヨウである。いやまさに精神病者も出てくるのだが、しかし患者に「化けガマ」なんてアダナつけていいのだろうか(笑)ほかにもこんな失礼なことを書いていいのかと、イマドキなら発禁処分になる表現ばかりで、それがまたゲラゲラおかしい。北氏もさすがにいちばんこきおろした教授が痴呆になり、亡くなるまで執筆を控えていたそうだ。編集者に「書いてください」と言われて20年、気をつかってはいたのだ。

さて北杜夫といえば躁鬱病と相場は決まっている。躁病のときは月産何百枚、うつ病のときは月産7枚というくらいの猛者で、マブセ王国など躁鬱の話はいっぱい書かれていた。なぜ自分の躁鬱病のことをあれほど書いたのだろうか?答えが本書にあったのだ。

私が自分の躁鬱病を必要以上に宣伝するのは、なんとかして世間の人の精神病者に対する偏見を除きたかったからである。みんなが考えているほど精神病者はこわいものではない。(中公文庫版の本書P123)

この数行にハッとした。北氏の家はもともと精神科医院だった。幼少から患者と遊んできた氏が、怖かった思いはたったの一度だけだったという。だから精神病者は怖くない。やさしい人もいっぱいいるし、とにかく弱き者なのだというのだ。精神病を怖がったり避けたりしないでほしいという気持ちが、北氏の執筆の底にあったのだ。

だからひとつ言いたい。どくとるマンボウはほとんど新潮文庫で読んできた。僕は新潮文庫で育てられた。新潮社ですよ!その青春時代のシンボル、新潮社が雑誌『新潮45』に弱き者、マイノリティを貶める文を掲載し、掲載だけなら言論の自由だからオッケーだが、それをあえて擁護した。北氏が生きていたら絶対に御社と絶交するぞ。いや、多くの心ある作家は今、絶交してもいいほどの愚行ですぞ。

文学なんてものは弱き者を救うためにあるのだ。ユーモア文学もそのためにあるのですよ。新潮社よ、北氏の思いをくんで出直してください。

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