ある脳外科医が「ベン•ケーシーを観て脳外科医になろうと思いました」と言った。
『ベン•ケーシー』は1960年代前半、視聴率が50%を超えた米国医療ドラマである。天才脳外科医は頑固で融通がきかないので、上司や同僚から鼻持ちならないヤツというレッテルをはられている。だが確かな技術で患者を救う。1話完結型のドラマ、毎回のオープニングはこれで始まる。
♂ ♀ * † ∞ そこに「男、女、誕生、死亡、そして無限」とナレーションがかぶさる。
ベン•ケーシーが黒板に書く文字はどういう意味なのか。
背景として、当時アメリカではTVがバラエティ番組全盛でくだらないと言われていたことがある。そこで社会派ドラマを作ろうという機運が盛り上がった。そのひとつがこの人生を凝縮した医療ドラマである。演出にシドニー•ポラック(監督作品『追憶』『トッツィー』、製作作品『ボビー・フィッシャーを探して』)が加わっていたのはほぉと思った。
それをベースに考えた。患者には男だけでなく女もいる。子供もいれば老人もいる。それぞれの医療が必要である。誕生とはもしも奇形児であれば生かすべきかどうか、治せるのかどうか。死亡とは医療につきものである。さらにどこでどう死ぬのか、今でいう尊厳死の問題もある。つまり医療には無限大の問題、または可能性があると言いたかったのではないか。
この記号は「人生」とも読み取れる。
男と女の絶えない問題。そこから生まれる生命を育てる問題。やがて訪れる死の迎え方の問題。
たとえば朝、甘えてくる猫がいる。ぼくが大根の味噌汁と卵かけご飯を食べたら、遊びの時間だーとやってくる。ひとしきり遊んだら満足してお休みする。ぼくは仕事にかかかる。結局甘えたいんですよ。ぼくだって甘えたい。甘えてもらいたいのだ。そんな朝をぼくらは繰り返している。
いろんなことはあるけれど、男、女、誕生、死亡、結局それがすべてなのである。それしかないのだ。だがそれが無限に繰り返されて続けられる。それが世界であり、幸せを求めて終わらないのが生きるということなのである。
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