親の死に目に遭って医師になる人がけっこういる。この方もそうだ。
外来棟と病棟をつなぐ渡り廊下のガラス窓から光が差し込んできた。緩やかなアーチ状の廊下の真ん中で、小学校5年生の井上少年とその母は脇坂順一教授と会った。脇坂氏は立ち止まって少年の頭をなでて言った。
「僕、大きくなったらお医者さんになりなさい」
井上少年とは『ドクターズマガジン』2017年9月号の〝ドクターの肖像〟で登場して頂いた井上晴洋教授(昭和大学江東豊洲病院消化器センター長)である。上部消化管の内視鏡手術(とりわけアカラシア手術)で世界的な権威である。彼が幼少の頃の思い出に、ふるさとの久留米市での父の入院がある。高名な〝脇坂外科〟の教授でも手に負えない進行性胃がんで、手術はしたものの手遅れだった。その無念さを脇坂教授は少年と分かち合おうとした。父の死をきっかけに井上氏は医者になろうと決めた。
この一文を書くために、当時の久留米医大の渡り廊下の画像まで調べた。アーチ状で、ガラスがあることも確かめた。光が差し込んだとか頭をなでたとかは創作であるが、まちがいないだろう。印象的な表情はカメラマン稲垣純也氏の腕である。
書こうとしたとき、我が父も胃潰瘍で2/3くらい切除をする手術を受けたのを思い出したが、父は死ななかったとはいえ、さらに今思うのは、自分は医者にはなろうと思わなかったことだ。頭が良くないだけでなく、そこまで父を思いやっていなかったのだろうと赤面した。
彼の決心、覚悟には相当のものがあったはずだ。ただ「父の無念を晴らそうと」と書いてしまっては、決心の重さも覚悟の強さも伝わらない。そこからの努力と切り開いた運命も軽いものになる。心底までは理解できなくても、なんとか疑似体験して、近くまで行って、その人を想像する。書くとはそういうことが試される。その意味では今回まあまあ書けたのではないだろうか。
親の死に目をどう生かすか、殺すか、自分次第である。次の1行もこの原稿に書いたのだが気に入っている。
底に到達した人だけがジャンプできるのだ。
以下、余談をふたつ。
井上先生の初期の患者さんで玉置さんという方がいる。彼が手術体験をネットに書いた『食道アカラシア入院日記』がおもしろくて誌面に登場願った。当時は中学の校長、今は大学の教育学部で教授をされている。感謝のメールを送ったら返信があった。彼には落語の趣味がある。
退院のときに、井上先生に言いました。
「さすが先生は、食道手術の権威ですねえ。い(胃)のうえ(上)だけに」
これでけっこう受けます(笑)。
もうひとつ。
最近放映された『最上の命医』というTVドラマで〝ドクターフォレスト〟というマガジンが登場した。ありがたいパクリが編集部で話題になりました。
けっこうあちこちで読まれているな…と感謝しています。
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