機械の効用

ある医師が『セイコー5』という時計をしていた。彼いわくー

「自動巻きなんですよ。前はカシオの電波時計だったんですけど、あれは必ず元にもどる正確さがある。それが逆にストレスで(笑)僕は機械が好きなんですよ」

びっくりしたのは1960年代生まれのセイコー5、今も生産中だという。振ってゼンマイを巻く腕時計、ぼくも一本持っている。

引き出しの奥から出した『セイコー•ロードマチック』。かれこれ40年前の時計である。フリフリしてみると、動き出した。日付曜日が壊れたのでしなくなったが、オーバーホールすれば立派に動くのだろう。先生は機械に触れたり作ったり眺めたりが好きだと言った。ふとフィルムを装填して巻き上げるカメラを思い出した。磁気ヘッドがテープを押すカセットを思い出した。インクを吸うレバーのついた万年筆を思い出した。

どれも「メカとの対話」がある。どれも目減りした習慣である。道ゆく自動車もよくいじったものだが、もはやいじる人もいない。自動変速どころか自動運転に向かう時代に「3ペダルのマニュアルミッション」は残るのだろうか。クラッチで「切ってつなぐ」メカこそエンジンとの対話だと思うが。

いつからメカとの対話が減ったか。秋葉原を見ればわかる。

電気部品の街から家電へ、そしてコンピュータへと変わるにつれて漸減し、オタク化してほぼ消滅した。そのパソコンもかつては黒い画面で対話がいっぱいできた。ずいぶん汗を流した。ところが今日、Macで隠しファイルを見たいと思ったのだが、ファインダーからターミナルに入ってXXXを打ちなさいとあって、面倒でやめた。ひよったものですね(笑)

あらゆるお手軽は暮らしを楽にしてくれた。だが全てそれでは息が詰まる。自分の大切にする分野では、道具と対話する美学を持ち続けたい。万年筆にせよ、レコードにせよ、カセットにせよ、印刷本にせよ、慣れた道具はよく喋る。冷たい人間よりよほど人間味がある。

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