司馬遼太郎が賞賛した「新しい日本語文」とはどんなものかと読み出した。
司馬遼太郎の『胡蝶の夢』は全集で読んだのだが、同封の月報に司馬氏が『福翁自伝』を賞賛する一文があった。日本語をつくった本とまで書いていた。本当か?と思って福沢諭吉の自伝を読み出すと、驚嘆した。
幕末から明治の偉人が意外なほどヤンチャで鉄砲玉の冒険者であったことを知った。その奔放ぶりを振り返って語り、それを文にした本書は、五七五の俳句のリズムに乗って切れそうで切れずに読ませる。そのテンポが誠に心地よい。軽忽(きょうこつ)という形容詞がふさわしい。乃公は司馬遼太郎に勿論同意しましたぞ。乃公とは「おれ」という意味で、俺と同じだが、味わいがある漢字である。
福沢諭吉の語り口、文として会得するために写しだした。
まず『長崎遊学』の章を写し、次いでクライマックスの『王政維新』の章を写しだした。なぜ写すかといえば、それが文を勉強する王道だからだ。手間はかかるがこれ以上の文の練習方法をぼくは知らない。あわせて自伝の書き方も学べるし、時代の雰囲気を学べる。勿論日々忘却する漢字を復習できる。写本は一石五鳥くらいの効果がある。
福翁自伝には写本のシーンが二、三出てくる。昔は本は高く、コピー機もなかった。うちひとつは〝エレキトル〟に関する蘭語の物理書で、ファラデーの電気説や電池の製造法などが書かれていた。これは凄い、買えば今の貨幣価値で何十万円、写すしかないと、緒方塾の学生を集めて口述させては写す、疲れたら交替する、二泊三日で150ページを写しきったという。おかげで彼は電気に強くなった。
しかし100年以上の月日を経て、彼の自伝を写本するヤカラがいるとは福翁も思いもよらなかっただろうナア。
尚、図書館から借りて読んだのは〝新日本古典文学大系明治編〟の福沢諭吉集だが、これは注が詳らかで素晴らしい本である。しかし高価なので、代わりに岩波の単行本の古本を買い求めた。どちらでも写本はできる(^^)
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