目標と能力と報酬とそして…

4月初めの月曜日、チマタは入社式。マア「新社会人に告ぐ」なんて言えるガラでもタチバでもないわけですが、「目標」なるものを考えた。

組織の一員になると目標が与えられる。新人のうちは「仕事を覚えること」であり、年月を経て戦力になって「売上や利益」「商品開発」「顧客満足度」等々が割当てられる。目標と目標を達成する「能力」向上があまいって、地位が昇進してゆく。しかし誰もが能力を上げられるわけではなく、目標が遠く霞んでゆく人もいる。あるいは達成して一服、もう上を追わなくなる人もいる。

会社員としてのぼくはどうだっただろうか。最初の会社のレベルは見切れた。次の会社でも半分はできたが、できないことにもブチ当たってドロップした。その次の会社の仕事はムツカシイので成功も失敗もあった。それぞれ勤めは7-8年続けたが、結局会社員を辞めたのは、目標と能力は二重螺旋のようにくねって共に上がってゆかねばならないのだが、目標に白けて能力アップをする気がなくなった、というものがあった。

それを言い換えればこうだ。目標と能力が上がっても「報酬」がつまらなくなった。会社内の地位のアップはくだらないし、かといって業界にその人ありというほどの人物になれたわけでもない。褒めてくれたお客さんの声を胸に納めて「もう潮時か…」と思ったことが、辞めるきっかけの一つではあったようだ。つまり、目標と能力と報酬の三本柱が昇竜のようにくねって空に上がってゆかないと、会社勤めはもちろん自由業だって続けられない。

人生ゲームとは三本柱を常に見つけられる者が勝者で、見つけられなくなったら敗者なのだろうか。そうでもありそうだし、それだけでもなさそうだ。答えはそれぞれが考えればいい。

もうひとつ大切なことがある。三本柱の「土台」である。柱というからには土台がいる。その土台がどんな成分でできているか大事ではないだろうか。

まず体が健康か、不健康か。地頭がいいか、悪いか。土台は水平か斜めか、つまり人間として偏りがないかあるか。土台はどんな性格でどんな価値観を持っているのか。どれほどの硬度があり、どれほどの高さ/重さの柱を支えることができるのか。いくら三本柱を高く上げても、途中でポッキリ折れるのは、土台が悪いからではないだろうか。

ではどんな土台がいいのか。それも答えはいろいろある。ぼくは、心から愛せる人がいることだと今思う。人間愛がない土台はしょせん中年あたりで崩れるものだ。愛さえあれば柱を立てるのは自分だけではない。そっと支えてくれる人がいれば、まっすぐになる。

ようやく原稿の終わりが見えてきた…^^;;

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