甘えるな!

甘えそうになった自分を叱った。

いい天気になった今朝、ようやく心が上向きになった。この二週間強、創作修行にはげんでいた。去年秋からあたためて、テーマを深める本を読みこみ、テーマをふくらませる資料をあつめ、たくさんの抜き書きをして、用意をすすめてきた。ようやくまとまった活動日ができたのでとりかかった。

しかし書いても書いてもなっとくができず、文章構成は「バージョン6」を数え、本文の書き出しは「バージョン4」を書きなぐった。なっとくができない。七転八倒苦闘、涙は涸れるわ花粉症で鼻水もだしきるわ。なにかちがう、なにかがおかしい。自分がおもしろくないのに人をおもしろがらせることはできっこない。書けねー!とおちこんだ。スランプというのは上位レベルになった人がいっときできなくなることだから、ぼくのはスランプとは呼ばない。

それは「才能が乏しい」という。

だがおまえ、諦めるのか!と、何度吠えたか。アンカウンタブル…

ひさびさに文章教室の本もひらいた。書けないのは「文体」のせいだと思ったからだ。ぼくの文章読本は「名文を書かない文章講座」(村田喜代子氏著)である。「文章は口から」リズム感がないといけないという。ごもっとも。「構成も口から」うーん……そこはなっとくできないが、きっとぼくがまちがっている。「描写は選択」つまり人物描写は人が動いていないといけない。そのとおりだ。「ですます調」は使わない方がいいという。これは大きな問題で、一人称で書くか、三人称で書くか、神の目線で書くか、登場人物の目線で書くか、思案のしどころである。ぼくは一人称で書いてダメ出しをして、三人称で書いてまたダメ出し、一人称にもどって…と悩んでいた。村田さんの本からではないが、ひとつ、ヒントが降りてきた。

「文体とは文の内容が決める」のだ。

何をどう伝えたいかで文体は決まる。文体が先ではなく内容が先なのだ。

それからまた原稿に向かった。構成を見直し、前書きを書き直し、一章をがらりと変えて……しかし文章迷路トンネルは続いた。まっくらで光は見えない。トンネル内には「非常口サイン」があった。そこから出れば地上だ。息ができる。だがそれはトンネルの途中で、挫折するということである。

それでいいのか?お前は諦めるのか?知人に甘えたくなった。悩んでいると手紙に書いた。

それでも「諦めたくない!」と昨夜手にしたのが、ケストナーの「飛ぶ教室」を筆写修行したノートである。手書きで、前がきから一章まで五〇ページ書きぬいたノートを読んでいると、軽やかなリズムがある。子供が主役のこの物語では生徒たちが生き生きと動いている。その動きはすべて会話と描写。ひるがえって僕の文は、まるで静止画像である。登場人物が静かな大人なのだ。血が通っていない大人のようだ…

そして、あけぼのは夜寝ているときにやってきた。

書き出しに動きがないのがいけない!とわかったとき、まったくちがうシーンから書こうとひらめいた。米国医療ドラマ「ER」の初回、看護師キャロル・ハサウェイが自殺未遂をして緊急搬送されるシーンのように。あれだ!あのスピード感、わけありの展開から書こう!これまで苦闘した一章を二章にしてみよう!それならばリズム感がだせそうだ!

甘えた手紙は破いて、書き直した。これがぼくの今日までの創作修行のモヨウである。なんとかいいものを書きたい。書かせてほしい。そう祈念しつつ、今日は「ドクターの肖像」のインタビューへ地方出張してきます。こちらもがんばります。

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