私は死ぬ時にはハッピーに逝きたいとよく思う。ではハッピーになるには、どんなことがあればいいのだろうか。
医師で作家のアトゥール•ガワンデが書いた『死すべき定め』(みすず書房)は、ひとの老いと死をめぐるドキュメントである。本書は3つの意味で大傑作である。
第一に「生の意味」を問うている。人は生まれた時から死ぬ運命にあるが、生きることは「自分の人生のストーリーの著者であり続けること」と言い切る。ガワンデはナーシングホームの事例を描いていく。
高齢になると一般的なナーシング•ホームに入所する。そこは悲惨と言えるほど不幸だ。軍隊キャンプのように、食事も体操もリクレーションも入浴も決まった時間で行われる。行動が厳しく管理され、安全ではあるが自由がない。スタッフは不満を言わず頑張る高齢者が好きだ。
ケレン•ブラウン•ウィルソンが「アシステッド•リビング」(家とナーシングホーム の中間)を創造したのは、ナーシングホームを葬るためであった。自由と規律を保ったまま老人が生きる場所を創る。それは小さな台所と洗面所を備えた部屋で、内鍵がかけられた施設であった。
また医師ビル•トーマスはナーシングホームには三つの伝染病があると考えた。退屈、孤独、絶望である。それを打破するのは「生き物」であった。
ターゲットと名付けられたグレイハウンド、ジンジャーという小型愛玩犬、四匹の猫、鳥の群れ(インコ)が持ち込まれた。人工植物はすべて廃棄し、生きている植物を全部の部屋に置いた。スタッフは自分たちの子どもを学校が終わったらホームに連れてきた。友人や家族がホームの裏庭に子ども遊び場を作った。ショック療法だった。(本書P115)
その結果、しゃべれない入所者がしゃべりだした。引きこもりの寝たきりの老人が、ナースステーションに来て言った。「私が犬を散歩に連れていきます」入所者の健康が良くなり寿命が延びた。
人生の残りが数年単位になったと自覚したとき、ひとは遠い自己実現よりも、今の喜びを尊ぶ。今の喜びとは、動物がかわいい、植物が育つ、子や孫と通じることなどだ。それは幸せな死に通じる。
第二に本書は「死の意味」を描いている。ひとは死の間際に自分と家族や友人を赦す。
ガワンデが医学部生の時、医学生を人間的な医師にするための講義があった。題材はトルストイの短編小説『イワン•イリイチの死』である。
45歳の判事職の男イリイチは、小さな事故から脇腹を痛め、その傷が悪化して寝たきりになる。妻は次々と医師を呼ぶが腎臓の遊走だの盲腸炎の悪化だのと診断をして、効かない薬を処方し、痛みを阿片で散らすだけった。ひとり、下男のゲラーシムはシモの世話や足のむくみ取りなど、親身にしてくれた。死が近づき、イリイチは追憶をするようになる。幼年時代から法学校、判事職へと人生が実に無意味に思えた。
人生が真実これほど穢らわしいものだなんて、そんことがあろうはずがない!よし人生が真実これほど穢らわしい、無意味なものであるにでせよ、いったいなぜ死ななければならないのだ?(『イワン•イリッチの死』岩波文庫P89)
だが死の2時間前、イリイチは死の意味を知る。朦朧とするなか、自分の容体を見に来た息子がかわいそうになった。妻は絶望していた。自分が死んだらみんな楽になるのだ。彼らがつらくなくなれば、自分も苦しみから逃れられる。イリイチが「許してくれ…」と呟いたとき、恐怖が消えていた。死は消え、イリイチは光を見つけたのだ。
そして第三に、本書の著者ガワンデは「生と死の意味」を、我が父の死とイワン•イリイチの死と重ねて、描き切った。
ガワンデの父も医師であった。頑健な人だったが脊髄腫瘍にかかり、数年をかけて四肢に麻痺が生じてきた。手術は成功したががんが残り、無益な化学療法と放射線治療を経て、病状は悪化した。そこでホスピスのケアを受けることになった。ホスピス看護師は冷静に質問をした。蘇生拒否の指示を受けているか?呼び出しベルはあるか?家族のケアは24時間できるか?極め付けの質問は「どこの葬儀社を使いたいか?」父は躊躇なく「イェーガーだ」と答えた。母はただ息を飲んでいた。看護師は何が一番気がかりですか?と聞いた。
「ハッピーでいたい」。父は言った。(本書P227)
父はホスピスのケアで一時的に回復し、故郷の医学教育のことまで考えだした。だがやがて最期の日を迎えることになる。死ぬ間際の二日間、息子のガワンデはケアをするため実家にきた。痛いところはある?父はないと言って、庭に出たいと言った。花が咲き、木々の枝が延びていた。食卓にもどると、父はマンゴー、パパイア、ヨーグルトを食べた。無口なまま考え事をしているようだった。息子は聞いた。
「何を考えているの?」
「死ぬ過程の時間をどう延ばさずにすむかを考えていたんだ。この食事がその過程を延ばしてしまう」(本書P258)
家族に心配させないようにーまさにイリイチの心境と同じである。ひとは最期に光を得る。「思いやりという光」を。それがハッピーの正体なのである。
本書はドクターの肖像でお世話になっている杉浦編集長からのプレゼントである。類稀な傑作をありがとうございました。