ドラマーのチャーリー•ワッツの死去のニュースを読んで、聴いたStonesのアルバムは『Get Yer Ya Ya’s Out』。溝がすり切れるほど聴くとは昔の表現だが、文字通りこのライブレコーディングのレコードは擦り切れて、最後の曲「Street Finghting Man」のラストでリフレインになっちまってネバーエンディングになった。
始まりがあれば終わりがある。溝が切れたリフレインするレコードもいつかは終わる。
私がStonesを聴き出したのは74年か75年だったが、それから40数年経ってもまだロールし続ける彼らに生かされてきた。私は歌も歌えないし楽器もできないので、どんなふうに影響を受けたかといえば、創造とスタイルだろう。曲の創造でも、舞台でのスタイルでも、中性的なミック•ジャガーとキメるキース•リチャーズのあいだで、曲をどんどん先に走らせて昇らせていくチャーリーのドラムに、まるでけしかけるように生かされてきたというのがほんとうのところ。Stonesのおかけで、自分は変な人生を送るようになったと思う。
ではチャーリーの死去でこれからまっとうになろうか?ということはなさそうだ。最後まで「Little Queenie」のように生きてみたい。そんなあほなことを思うのも、私の暗い青春をロックにした舌足らずのジャガーの歌と、ヘタウマのキースのギターと、けしかけてくるチャーリーのドラムのせいなのだと思う。B面の「Little Queenie」が終わると、「Well, all right! well, all right!」とミックのことばが何度もコンサート会場に響いてオーディエンスをけしかけ、そしてあの有名なフレーズが発せられる。
Charlie’s good tonight, ain’t he?
「チャーリーは今夜最高だね」
いやちがう。チャーリーは今夜だけでなくずっと最高だったのだ。これからもずっと最高なのだ。私が死ぬまでずっと私をけしかけてくれるだろう。2分30秒のロックンロールのようにきっぱりと生きろ、スタイリッシュに突き抜けろと、叩きつづけてくる。
このアルバムの最後の曲は「Street Fighting Man」。ロックの原点はストリートファイト、徒手空拳の路上の雄叫びにすぎない。Sleepy London Townの路上からの叫びだ。これからもずっとロンドンで、ニューヨークで、トウキョーで、路上からチャーリー•ワッツのスネアドラムが聴こえてくるだろう。あの世でも腕を振りまくれ、涙と共にRIP.
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