自分らしく

自粛の黄金連休の最終日午後11時にかかってくる電話は、この友人しかいない。かれのかみさんは地方で自粛、娘は男女交際、ひまだからぼくに電話するとは…。

仕方ないので熱い本音を語った。もはや生きるか死ぬか、マーケティングなぞ関係ない、最後は書きたいこと書いて死ぬと宣言した。すると友人に「しかしきみはそのマーケティングというのものをずいぶん長くやったじゃないか」と言われた。

それは事実だ。市場リサーチやコンサルティング、新規事業という仕事を通じて、長いことそれにつきあった。だがそこにぼくの根本問題がある。なぜぼくは「そうしてきてしまった」のか?ということだ。

ぼくはずっとずっとさまよってきた。学校の教室でひとりぼっちで、ひとのなかに入れず、はじきとばされてきた。その現実からも、自分からも逃げてきた。おのれをだましながら、同化しようと努力した。ただ収入や生きる糧のためではない。そんな自分に対して、啖呵を切りたかったからだ。おれだってできるぞと。結果は高いレベルとはいえないが、それぞれで一定のレベルはできた。

ただ真実は、ぼくは居場所をただ探し続けていただけだ

「みんなそうだよ」と友人はいう。ひとはどこで満足するか、満足できたかと自分をだますことなんじゃないかと。それは同感だ。コロナ不況でも左団扇、邸宅に住んで安定した暮らしを実現できれば、それは満足なのだろう。

友人のように小学校中学校のときの価値観で生きてこれたならいい。出版社で編集、本作り、執筆という30数年にわたる作業を通じて、増刷仕掛け人としてやってきた。その価値観の根底には、世界を知りたい、もっと良くしたい、海外の知恵を伝える、ひとや人生はどういうものなのか、そんな視点からの本作りがある。

友人が小さいころの価値観で生きてこれたなら、ぼくはその価値観をひきずりながら、必死で居場所を探し続けてきた。20年以上もマーケティングぽい仕事をしながら、心の底で世俗的な成功やマーケティングなどは真の目標ではないとわかっていた。すべては自分のため、最後は自分らしくありたい。どうやるか?自分の原点に降りていく。「心のほころび」を書くのである。

するとわかってくることがある。「自分=ひと」ということだ。

ひと皮剥けばだれもが同じ人間だ。キース•リチャーズがいうように「みんなドクロさ」である。哲学者アランもいうように、ひとに性格などはなく、その場その時の感情や、偶然所属している組織の思想を身にまとっているだけだ。たまたま着てきたブランド服を自分と見間違えるようなものだ。ほんとうは似たり寄ったり、皆同じ神様の創造物なのである。

だから「自分らしく」というものは「しんきろう」でもある。

そのしんきろうに一撃をくらわしたのがバンクシーである。友人の会社は、落書きのアーティスト、バンクシーの本を出している。バンクシーの本はたいていバンクシー礼讃で、神出鬼没だとか、風刺がすごいだとかそんなことばかりで的外れだ。まして市場価値を礼讃するなどバンクシーはゲラゲラ笑っているに違いない。

だが友人の出したバンクシーの本は、その存在理由を考えるポイントがある。それは世界中どこにでもいる落書き屋が、どうして世界に知られるようなったかである。

バンクシーの武器は、姿を見せず、ステンシルを使い、キャンバスは壁。ほかの落書き屋と違って、かれは世界を騒がせるペイントをほどこした。ひととひと、落書きと落書きを人間のあわれな欲望でむすんだのだ。落書き屋が「おれはここにいる、見てくれ、知ってほしい」と叫んで壁に電車に描く。だがバンクシーはそんなのくだらねえ!と言い切った。一泡吹かせてやる、世を騒がせてやる、それこそが落書きの本質であると。それはマーケティングを越えたマーケティング、アーティストマーケティングである。ひとりよがりの、世界中のその他大勢のひとりぼっちの落書き屋が学ぶべきことだ。

結局は「自分らしく」を消化し、「世界へ昇華」できるかにつきる。

おのれの心を知ることは、ひとの心を知ることだ。創造がすべき唯一のことは、おのれの心をひとにかぶせていくことだ。それがひとりぼっちを解消する究極の手段である。それはぼくの書きたい二冊目のテーマでもある。一冊目も書けるかどうかわからないから、幻で終わるだろうけれど。

友人に、もうひとつぼくが取り組んでいる翻訳のことを相談した。「読まれる市場価値はないよ」とあっさり却下されたが、ぼくがあるよと食い下がると、友人は「確かにマーケティングとは過去の分析に過ぎない、未来はわからないからね」といった。そう、過去はあらかたわかっても未来=いつまで生きるかはわからない。

むしろ問題はぼくがそれをやるべきなのか?その理由がうすいのが悩みだった。一期一会、自分がやるべきことを今やるべきなのだ。薄っぺらくても、ひととほんのわずか違う、自分らしさで勝負すべきなのだ。

1時間の長電話を終えて、ひと晩寝たらこたえが降りてきた。人間のことを書こう、である。これでひとつ企画がまとまるかもしれない。久しぶりによく眠れた夜だった。

キャベツの値段が下がってきました。

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