裕福なバックパッカー、そして横澤彪氏追悼

今日はビジネスメディア誠で連載する“うふふマーケティング”へのリードと、名プロデューサー横澤彪氏への追悼をひと言。

郷好文の“うふふ”マーケティング:裕福なバックパッカーはいかが? 高級ホテルにチャリでチェックイン
バックパックを背負って旅行するという、若い世代向きの旅スタイルを好む50〜60代が増えているという。とはいっても、テント泊やユースホステル泊といった貧乏旅行ではなく、一流ホテルや豪華なコテージに滞在し、移動はビジネスクラスやグリーン車で行うというのが特徴である。筆者も裕福なバックパッカー旅行を妄想してみた。→続きを読む

今回のエッセイは旅行の多様化の中でも、根源的な自由への欲望に根ざしたバックパック旅行がテーマだ。編集部は“妄想してみた”というリード文を書いたが、妄想なんかじゃない。かのリチャード・ブランソン氏の冒険旅行も、三浦雄一郎氏の登山冒険も、裕福なバックパック旅行の一種である。彼らのような“若い心のハートを持つシニア旅行”こそ、これから注目されるのは間違いない。

なぜ裕福なバックパッカーかといえば、団塊の世代の原風景には“ヒッピー”、“反抗”、そして“スタイル”への渇望があるだからだ。

60年代の自由なライフスタイル、カウンターカルチャーという反抗心、そして日本ではVANに代表されるステータス感あるカジュアルファッションへの羨望。これが混ざり合っている世代の最後の旅行ブームがこれだ。これを信じるか信じないか、読者のオヤジ達に訊いてみてくれ。

【横澤彪氏追悼】
さて1月8日、フジテレビの元プロデューサー横澤彪さんが死去した。「笑っていいとも!」「オレたちひょうきん族」を創り、フジテレビ、いや今に通じるお笑い番組そのものを創った人と言ってもいい。


THE MANZAIは1980年、ひょうきん族は81年、笑っていいともは82年スタート。ぼくは大学生時代だったから、真正面からそのブームをかぶってきた。思えばその頃からお笑いが変わった。横澤お笑いのポイントは何だろうと思い起してみた。

その1:斬新なお笑い人材の登用
タモリ、ビートたけし、明石家さんまをスターにしただけでなく、お笑い人材を真っ向から取りあげた。それまでお笑いをする人は“寸劇”をする人であり、寄席や舞台を持つ人だった。彼らを真ん中に置いた番組を創った。

その2:お笑い人材をはめ込む番組フォーマット
ビートたけしにスーパーマンの格好をさせたり、タモリを司会役に据えたり、懺悔のコーナーを作ったり、よくもまあ考えたものだった。番組自体が意外性に富んでいたな。

その3:毒をまき散らした
ビートたけしはもちろん、タモリがあの顔、あの風体で「笑っていいとも」なんて毒もいいところでしょ(笑)。またウラ番組(全員集合)をネタにしたり、楽屋ネタ、ウラ話をどんどんバラすもの凄かった。

今に続くフジテレビの企業イメージは80年代に確立した。その凄みに比べると、最近のバラエティの酷さはTVをぶっ壊したくなる。お笑いに人の個性に頼っているだけ。しかも彼らをすぐに使い捨てだ。横澤氏のように「見出して育てる」姿勢は皆無。


ひょうきん族の中で横澤氏が牧師の役回りをしたのは、きっと「こんな番組作ってごめんね」というシャレだったのであろう。凄い人だった。合掌。

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