ストーンズが教えてくれたこと

彼らは来年で活動50年、ぼくは生まれて52年、彼らにハマって38年。長い年月、同じものをこんなに長く好きでいられ続けたことに感謝したい。


2011年11月21日に『Some Girls』のreissueが発売される。昔のアルバムのリイシューで金を稼ごうなんて言語道断だが、それが売れるからどうかしている。ぼくももちろん予約した。

そもそもローリング・ストーンズは、ある時点から活動自体がリイシューかつリフレインである。繰り返し同じ曲を聴きたいと思わせる麻薬がある。リフレインなのにベスト・ライブアルバムである『Shine A Light』は2008年発売で、彼らの46年目の到達点だった。あの年で(60代前半)あのライブはありえない。だから来年の結成50周年は期待できる。


11月13日のThe Guardianの記事では、キースが「今月下旬からロンドンのスタジオに入ってジャムするよ」と語り、ロン・ウッドもチャーリーもOKなのだが、ミック・ジャガーだけは「わからないな。グループとしてずっと活動してないだろ」と冷淡だが、ホントはそうじゃない。50周年を迎えてジャガーはこう答えている

“You can’t be too impressed, I think,” Jagger said. “You could wallow in nostalgia if you wanted, couldn’t you? I don’t think that’d be the right attitude. There are a lot of ideas and things to do, some of them sound interesting, some of them sound possible and some of them sound difficult and some sound outright schmaltzy, to be honest. I don’t really know what’s going to exactly happen — but I’m working on it.” 引用元=LA Times

「そんなに凄いものにはならないさ。ノスタルジーにハマりたいんじゃないの?そんなのはやめてくれ。やろうというアイデアはたくさんある。そのうちおもしろいものもあるし、できるものもできないものもある。明白に感傷的なのもある。今はどうなるかわからないけど、それに向かってやってる」


待ってましょう、ミックがロンドンに入ることを。画像は60年代のジャガー(引用元=Rolling Stone)。良い写真だ。

ぼくが彼らを聴きだしたのは、ビートルズに欠伸を覚えた中学の1、2年だった。ストーンズが教えてくれたことは多かった。

まず60年代とは何たるかを彼らの活動を通じて知った。冷戦、戦争、ヒッピームーブメント、解放への闘争。ウォーホルを知ったのも彼らからだった。たちまちアメリカン・ポップアート好きになった。アメリカンムービーに浸った。

ロックンロールの激しさとやさしさ、リズムとブルースを教えてくれた。シンガーソングライティングの神秘に触れた。ライブ、それも即興演奏こそがロックだと思った。ライブ会場では何かが起こるものだと思った。

ストーンズは男たちのグループだったがセクシーだった。男もセクシーでありたいことに気づかされた。女性を愛することが素晴しいことだと教えてくれた。

『サム・ガールズ』にちなんで、「ぼくの女たち」思い出した。日本での最初の公演は1990年で、ある女友達と一緒に行く予定だったが、ある理由でキャンセルとなった。残念だった。95年にはLA公演の2日目にある女子と行った。彼女はひどい酒呑みだった。その後の日本公演でも(何年だが失念したが)ある女性と行った。彼女は純粋なストーンズフェチだった。

ついでにこれはキースの女たち(妻と子供)。美しいなあ。

ともかくぼくの人生の何割かがストーンズでできている。40年近く聴いていると、“同時代”とはいつなのかさっぱりわからなくなる。70年代、80年代、90年代、そして2000年代、それぞれ同時代があった。それでいい。

ある時点から「ストーンズのように何才までローリングしながら生きれるか」と思うようになった。ダッチロールしながらも生きる。それがストーンズが人に与えるパワーである。

コメントを残す

WordPress.com で無料サイトやブログを作成.

ページ先頭へ ↑