いらねえモノばかりの消費不況

。みなさんの家ではどんな役割を果たしているでしょうか?

うず高くそびえる棚に靴箱やアルバムや本の標高、いかばかりか? 棚あり、ゆえにそこにモノあり。いろいろあったけど水に流そう、ならぬ“買ったけど棚にのせよう”なんてね。かくして居間にも台所にも書斎にもクロゼットにも廊下にも玄関にも、果てやトイレにも、どこにも山あり棚ありが日本の標準家庭ですよね?

【iPodビルトインの棚の美】
モノまみれ、棚にモノ載せの日本人には発想できないデザインを紹介しよう。「ボクだってiPodもiPhoneも持っているよ!」と感嘆して叫んだのがこの棚。


One problem with setting up an iPod dock speaker to play your tunes, is that you need to clear some shelf space to fit it in. Not so with the Finite Elemente Hohrizontal 51, which actually is a shelf, with the speakers and electronics built inside. 引用元 (iPodドックスピーカを置こうとして問題になるのが、フィットする棚スペース。だけどこの棚はiPodをビルトインして、音楽再生するスピーカーを備えているんだ

棚板自体にiPodビルトイン。棚自体がドックになり、棚側面部と下部にスピーカーが搭載される。棚といえば何か置くものという予想を裏切り、iPodで音楽を聴くインテリアとした。インテリアにも合うカラーバリエ。配線はどうなっているのか?ちと疑問だが(笑)。


棚であって棚ではない『Hohrizontal 51』(これスペルミスなし)は660ドル(6万円)という価格が破格だが、棚という存在を改めて考えさせた。

【棚とは自己表現の一部】
北欧では「棚は重要なインテリア装飾の一部」であり、そこに何をどう飾るかでライフスタイルやセンス(つまり人間性)が測られる。モノをたくさん置くなんて言語道断。好きな絵や写真やオブジェ,レコードジャケット、花、陶器…など自分の感性で際立たせる。棚とは自己表現の一部である。

一方、狭い日本家屋では、有り余るものをどうかたづけるか。個人宅だけでなく、店舗でも棚はたくさん売るのが使命。大量陳列・大量販売、いや少品種・高回転販売も類似だ。ドンキのように“圧倒陳列・売切販売”もある。

これ文化のちがいと言えなくもないが、日本の伝統文化を観ればそうとも言えない。『飾り棚』には棚を飾って誇る文化があった。

【いらねえモノばかりの消費不況】
岩谷堂箪笥(いわやどうたんす)は奥州藤原氏初代清衡公が産業を奨励した平安時代末期(1100年代)に始まり長い年月を経て今に伝わる岩手県を代表する伝統的工芸品です。引用元


天板も表板も素晴しい表情。器類もお気に入りが置かれた。戦前の旅詩人、種田山頭火はこう詠った。

水仙いちりんのお正月です

床の間にたった一輪の花の豊かさ。神棚といい飾り棚といい、日本人ほどシンプルにこだわる民族はいなかった。

イタズラに伝統に帰ろうと言うわけじゃない。たいそう整理下手の自分のことは棚に上げるけれど、棚は飾るものというくらしへの気づかいが失われたいらねえモノばかり家の中に詰め込んでしまって、身動きができない消費者ばかりになった。消費不況の根本のひとつはそれである。

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