なぜ日本人は“美人すぎる◯◯”が好きなのか?

今日はビジネスメディア誠で連載する“うふふマーケティング”へのリードとこぼれ話です。


「美人すぎる市議」藤川優里さんを振り出しに、海女、釣り師、ゴルファーなどさまざまな職業に広がる「美人すぎる◯◯」。なぜ私たちは「美人すぎる◯◯」にひかれてしまうのだろうか。そのワケを考えてみよう。続きはこちら


今回の誠に書いた記事、きっかけはこの新聞記事でした。2010年のミスユニバース日本代表に選ばれたのは大分の板井麻衣子さん。見出しはフィッシングと知りつつも、“美人”にも“すぎる”にも惹かれ、しかも“元公務員”という四角四面な稲妻に打たれた。見れば新時代の和系美人。選ばれた瞬間の動画までツツと見ましたが、他の候補者とは違うオーラを感じた。それって何だろう?と思ったんですよ。美人は目の保養になるだけでなく原稿にもなるのだ。

男性には共感をもって読んでほしい。女性には「男の妄想の読解術」としても読めますので。

【美人すぎると本業ファンもおろそかになる】
「美人すぎる◯◯」を巡る疑問は尽きない。「美人すぎる◯◯」というアイコンに、男はどんな妄想を抱くのか?

ウクライナの「美人すぎる首相」ユリア・ティモシェンコ首相は美人だ、美貌だ、見とれてしまう。政府予算案はすべて通る(笑)。国会論戦はすべて生中継とか。日本でもこんな首相が出現したら、民放も国会中継番組を増やすだろう。画像の引用元


美人すぎる釣り師」福田あかりは、男だらけの魚臭い世界に、美人という異風がさしこんだ清新さがある。あの地味ぃ〜な釣り雑誌に、こつ然と美人グラビアページが載る。おお!じゃないですか。釣りたい、釣られたい、の妄想が波間に浮かんでは消えるのだ。


しかしこんなに「すぎる」と本業がおろそかになりませんか?本業のファンもうろたえてしまう。美人すぎてもよくないである。

【美人すぎる人を男は好きか?】
こんな疑問もある。「男は美人すぎる◯◯な女性をほんとうに好きだろうか?

思い過ごしかもしれないが、男性は「美人すぎる◯◯」とレッテルを張られる女性を敬遠する。才色兼備がすぎる女性はケダカイ。身分相応の美人レベルの女性でいいよと。

首相、市議、ミスユニバースなど高位の女性たち。才能がありつつ美人ゆえに、肩に力がはいっている。そういう女性にはそもそも歯牙にもかけられないとご遠慮するねという構図あり。すぎると損をすることもある。

【美人すぎるは褒めことばか?】
こうも思う。「美人すぎる◯◯」は、女性にとって果たして褒めことばなのだろうか?わたしはかつて母にこう教わったのを思い出す。

「女はね、どぉんなブスでも、自分のことをブスだと思わない生き物なのよ」

その教えを堅く信じるわたしは、「あなたは◯◯にしては美人すぎる」のフレーズが褒めことばとは思えない。ましてこのフレーズを女性に言う自信はサラサラない。本音では美人度は相対的なものだと思ったとしても、「キミは◯◯という条件では美人だ」なんて言えません。これ、まったく褒めことばにはならないでしょ。

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「美人すぎる◯◯」は女性には褒めことばにはならず、男性には敬遠の元となるフレーズ、かもしれないのだ。警句にはならんが、過ぎたるはなお及ばざるがごとし、とだけ書いておこう。

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