戦う自然体

アメリカで暮らし始めると誰もがその自由さに感嘆を覚える。ところがしばらくすると、その自由さは表の顔であり、裏の顔があることに気がつく。裏の顔はあくまで強く、オリジナルを求め、競争を勝ち抜こうとする闘争である。

元阪神タイガースの藤浪投手がメジャーに移籍後、「今はストレスフリーで野球ができている」というインタビューコメントを読んで、少し心配していた。彼にはまだ表の顔しか見えていないと思った。案の定と言っていいだろうか。エンゼルスとの開幕第二戦の初登板でこっぴどく打たれた。もちろん制球力が乏しいという技術的な原因ゆえだが、ストレスなしの自然体で戦えると思っていたとすれば、甘い。

力を抜いた自然体などない。自然体とは、相手が攻め所がないと思わせる体勢である。力が隅々までみなぎり、どこもつかもうとしてもつかめないという姿勢である

あるがままの脱力した自然体は攻められっぱなしである。それもひとつの戦い方であり、ぼろぼろになっても耐えられるならそれでもいい。それも美学かも知れない。だが表舞台には決して立てない。

わたしにとって自然体とは「ありのままの性で生きる」である。ありのままに生きるとは、すなわち自然体とは、自然体になれるまでの戦いのことだ。反対の性になるために、朝起きてから寝るまでの努力は当然。自分を律するのも当然。どういう自分になりたいか考えるのも当然。トランスジェンダーという存在でこの愚かな社会を修正してやろうと思うのも当然。

表舞台ーわたしの場合は女性として生きることを多くの人が認めるまでの戦いだがーに立てるかどうかは運もあるし、力尽きることもありうる。だが戦う人しか人は応援しない。

自由を勝ち取るには強くなければならない。わたしの年齢からまた挑むのは大変ですけど、大きな転職を目指すよりも他愛無い戦いなので、負けたくない。

虹色のシャツ-^^-
広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中

WordPress.com Blog.

ページ先頭へ ↑

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。