2週に一度、ホルモン注射で自由が丘のクリニックに通院している。トランスジェンダー専門ゆえ患者さんはMtF(男から女へ)かFtM(女から男へ)のどちらかである。
先日のことだ。受付を済ませると先客が診察室から出てきた。「がたいがよい女」であった。ジーンズに上はひらひらがついたチュニックを着ていた。わたしはすぐに診察室に呼ばれ、注射を打ってもらい、支払いを済ませて階下の玄関に降りた。「がたいがよい女」が扉を閉めて出るところだった。小さく会釈をした。あらためて思った。
「がんばってるな」と。
わたしも外に出て、がたいがよい女から10数メートル離れて歩いた。商店のある道に出て、店のガラスに映る自分を見た。そこには「背の高い痩せた女」がいた。177cmの女は日本にはあまりいない。がたいのよい女も背の高い痩せた女も同じである。
がたいのよい女は、自由が丘のある狭い交差点から真っ直ぐ、わたしは右へ曲がる。遠ざかる彼の背中を見て、いとおしくなった。心の中で声をかけた。がんばれよと。聞こえただろうか。わたしはよく自分にこう問いかける。
トランスジェンダーは果たして病者なのか?
自分が病者だと思う時もあれば、正常だと思う時もある。我々の診断名は「性同一性障害」で、今はWHO規定で「性違和」という。心に違和があるとすればそれは心療内科や精神科に通う人と同じである。以前に書いたドキュメント本の中で、統合失調症(かつての精神分裂症)の人が放つ言葉が忘れられない。精神病院に入院させられそうになった彼は抵抗して、こう叫んだ。
「おかしいのはお前らだ!」
どっちがおかしいのか、ここには深い問いかけがある。普通の人でも病者の気持ちを察せない人は、病者を差別をしたりバッシングしたりする。あのキチガイが、という。乳がん患者の胸をじろじろ見る。つまり思いやりに欠けている。それこそおかしいと思う。
トランスジェンダーが生理的に受け付けられないのは仕方ないが、存在を否定しようというのは差別である。病者を差別する人が医療人であってはならないし、医療の仕事をするのもおかしい。背中が小さく小さくなった、がたいがよい女に向かって、わたしはつぶやいた。
がんばってるな、がんばれよ。
自分に向かっても毎日そう言っている。
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