トランスジェンダー記念日

2月9日でちょうど2年経った。わたしは性自認=女性であることを意識した日が、2年前の2月9日だった。忘れもしない、女性物ジーンズを試着したあの瞬間である。それから外ヅラを女性化する努力やプロセスはこれまで書いてきたので、今日は心の変化を書き留めておきたい。

自分の中には女っぽいやつがいるのは長年感じていたけれど、女性になりたいというスイッチが入ったのはその時であった。その瞬間の「清々しさと高揚感」は言葉にできないほどであった。これが自分だ、自分はこれになりたかったのかと、女性化することになんの抵抗もなかった。

次に感じたのは「自分のなかに芯ができた」ことである。あれこれ悩んではグチグチと考える習慣がなくなった。それまでずっと妄想や妄念、自責や自己攻撃といった後ろ向きな考えにとらわれやすかったが、それが劇的に減ったのだ。

そして「ひとりぼっち感」が消えた。誰との間にも壁の存在を感じていたのだがその壁がまたげるほど低くなった。人の中に入れるようになった。その結果、チームワークというものが心でわかるようになった。残念なことにわたしが女装して人の中に入れるようになると、それを見て去っていく人も出てきたのだが。

わたしは「ほんとうの自分を認められた」ことで、他の人を認めることができるようになってきたのだろう。なりたい自分を許せることで、人も許せるようになってきたのだ。するといわゆる承認欲求というものが消えていって、純粋に意見をまとめることもできるようになってきた。

さらなる驚きは「感情移入」である。このトルコシリア地震のニュースを見ても、自分の友人が死んだかのようにおいおい泣いてしまう。トランスは涙腺まで崩壊させるのだろうか。それも心の中にあった感情表出の壁を崩せたからだと思う。

もうひとつ重要なのは「ある人への執心」が減っていったことだ。これには悩まされていた。狂いかけたこともあった。だがもう執心に囚われることはない。誰とも自然な距離が保てるなら、その人ともそうできるからだ。ただまだ子供達とはちゃんと「邂逅」できていないのだが。

そして最後に「自分がやるべきこと」が定まった。人がトランスジェンダーになる意味、トランスジェンダーは幸せなのか、トランスジェンダーは社会でどう戦うのか、トランスを裏付けるジェンダー医学の研究など、生きづらいこの社会を少しでも変えるために文を書きたいと思った。

ひとつ書き出すと書くべきことがいっそう見えてきた。トランスジェンダーとなったことを報告しなければならない相手がいた。父や母である。あの世にいるのにどう伝えるのか。父への詫び状をどう書けるのだろうか。

他のトランスジェンダーの人がわたしと同じように感じているか、変わってきたのか、それはこれからの研究である。だが傍目からみる彼らは、外面的には保守的で閉鎖的な日本の社会に辟易しているが、内面では自由な人生を得た喜びを噛み締めているのだと思う。彼らのドキュメントを描くことも、もちろんミッションである。

 

「ほんとうの自分を認めた時」に履いたジーンズ
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