『或る「小倉日記」伝』の普遍性

松本清張氏の『或る「小倉日記」伝』を(恥ずかしながら)初めて読みました。昭和27年の芥川賞受賞作品、氏の起点とも真骨頂ともいえる作品でした。ネタバレあります!読みたい方はこれ以上読むな(^^)

文豪森鴎外が小倉在住時代をどう過ごしたかわからないーふとしたことから記録がないことを知った青年田上耕作が、文豪の空白の3年間を埋めようと思いたつ。なぜ森鴎外か?それは友人から勧められて読んだ鴎外の小説に「伝便の鈴の音が聞こえる」とあったから。伝便とは昔のメッセンジャーで、電報より長い手紙をその日のうちに届けるサービスをする人。耕作は幼い時、伝便の鈴の音を聞いたことがあった。

青年は生まれつきの不治の病を持ち、左手は不自由、片足をひきずり、いつも涎を垂らして肩を左右に揺すって歩く。言葉は不明瞭だ。誰もが痴呆だと思った。だがかれには自負があった。

(田上耕作が) 自分の体に絶望してどのように煩悶しているかは、他人にはわからないのだ。ただ煩悶して崩れなかったのは、多少なりとも頭脳への自負からであった。いってみればそれは羽根のように頼りない支えではあったが、唯一の希望でないことはなかった。 どのように自分が見られようとも、今に見ろ、と言う気持ちもそこから出た。(本作品の四より引用)

対照的に母親は美貌で、父は耕作が10歳の頃に死んだが、それからも縁談は山のようにあったが、子のことを思うと再婚もできない。残された家作からの乏しい収入で親子二人暮らし、生涯をかけた森鴎外の研究に打ち込む息子を助ける。

これでもう涙ポロポロ、悲しくなる話なのですが、もっと悲しくなるのは、証言や資料がだいぶ集まってきた頃から太平洋戦争が激化し、焼夷弾が降る中、鴎外もあったものではなくなり、作業は途絶えて終戦後になった。食料の欠乏から、かれの栄養状態が悪くなり、病床に伏し、食がとれなくなり、意識が朦朧とした中で「伝便の鈴の音」を聞く。もちろん妄想だ。その夜明け昏睡に陥り、死ぬ。ところがかれの死後すぐに「小倉日記」が発見されて、鴎外全集に収録されるという。それを青年は知らずに死んだことは、不幸か幸福か…という終わり。

そのまま読むと、或る不自由な青年が不幸だった、で終わる。そういうことではない。「或る」がカギである。どこにでもそういう人はいるのだ。才能は乏しいし、身体能力もなく、病気がちだけれど、一生に一つくらいのことをなそうと誰もが思う。そして努力をして、少し成果をあげる。天才でない限り、大したことはできない。

それを虚しいというだろうか?ちがう。

人間はそうして進歩してきたのだ。人類は、一人一人が良いことも悪いことも、大きなことも小さなこともして、ほんの少しずつ歴史に足跡をつけて、それで去っていくのだ。それが我々の使命である。それが人生の本質である。

以上、事実から空想を編み出し、空想で事実を超えた清張の傑作のネタバレ感想でした。

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