スポーツの試合で最も悔しかったのは、1993年10月28日のドーハの悲劇だった。サッカーワールドカップ出場をかけた最終試合、勝てば本戦出場が来まるイラク戦である。2-1でリードしたままアディショナルタイムへ突入、勝利を確信した直後、同点ゴールを決められて、世界が遠のいた。
その翌朝、通勤電車のホームでの光景は忘れられない。ホームでスポーツ新聞を開く人がいた。寝不足の目で〝ドーハの悲劇〟を知らせる見出しを見て、まるで殴られた気分だった。会社に行くと「ごうちゃん大丈夫?」と上司に聞かれた。当時、個人的にも色々と鬱屈があって、晴れない日々だなと思っていたところの悲劇だった。まるで昨日のことのように思い出せる。
その翌年の1994年、アメリカワールドカップが開かれた。94年から95年にかけてアメリカ駐在でカリフォルニアの南部にいた。日本チームが出場するワールドカップの試合をアメリカのどこかで観戦できるはずだったが、W杯協賛イベントでアメリカ人の子供たちのかけっこのコーチのボランティアをしたり、W杯の3位決定戦をLAに観に行った。力が入らない観戦であった。
だがあれから29年後の11月23日、昨日のドイツ戦で堂安律がリベンジしてくれた。浅野選手の勝ち越しゴールも見事だったが、私は堂安律のド根性にめっちゃ感激した。試合後のインタビューで、不良少年の面影を持つ律はこういった。
「俺が決めるという気持ちで入りましたし、俺しかいないと思っていたので。強い気持ちでピッチに入りました」
俺しかいない、これだ。この精神こそ純粋で、強い。
チームのためにとか、皆と共にとかもいいが、個の力があってこそのチーム、個の総和がチームである。俺しかいないと思わないで成し遂げられることなどこの世にひとつもない。堂安の同点ゴールを私は「ドーハのリベンジ」と呼びたい。
私も今、リベンジしたい。
トランスになった私に必要なのは、これまで鬱屈していた人生へのリベンジである。私だけじゃなく、負け続きの日本社会にも必要なのは、堂安の「俺しか」の魂だと思う。
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