第20回共産党大会は、まさに中国共産党の崩壊の序曲、となるイベントでした。
前共産党総書記の胡錦濤(フー•ジンタオ)は、閉会式のさなか、体調不良になって離席した。途中で総書記習近平(シー・ジンピン)を一瞥して、体を支えられて連れ去られた。長年パーキンソン病を患って、歩行がおぼつかなくなった老人と、前代未聞の3期目の政権という「我が世の天下」をほしいままにする独裁者が、前総書記を葬ったイベントと見ることもできる。
私は思った。フー•ジンタオは「半ばわざと」体調不良になったのではないかと。自分の体調不良さを「明日の中国になぞらえた」のではないか。お前の権勢は盛んで、台湾侵略もしかねない勢いだが、それは現代中国崩壊のステップになるぞという警告を、自らの健康状態を使って発したのではないか。習近平の前でよろめくというのは、「お前のせいで中国は倒れていく」という予言なのではないか。
それはそれとして、組織というものはどこにあっても、常に「その時だけ」の勝者と敗者が生まれる。強くて胸を張る者が、弱くて肩をすぼめる者を追いやる。だが大きな目、長い目で見れば、その逆になることもある。
私も会社員時代、ドーンと飛ばされたことがある。私がヘボ社員だったから仕方ないのだが、会社の商品もサービスもヘボなので、いかんともしがたいものがあった。飛ばされて自由になったつもりで、転身した。一方飛ばしたヤツは数年後会社を追われ、心筋梗塞か何かで急死した。葬式に行った時、ホントに砂を遺影にぶつけてやろうと思ったけれど、三途の川で溺れている姿が見えたので、やめておいた。
ひとは集まれば組織をつくり、組織は常にひとを駆逐する。駆逐の急流のあとには静かな流れがくる。結局組織には、長い目で見て浄化作用が働いている。浄化と不浄の繰り返しである。その流れのどこに自分がいて、どこに流れるかという選択でもある。
それはそれとして、ひとは使命があれば、フー•ジンタオのように自分の生命を賭して訴えるものである。トランスした私も余生にひとつ、それをまっとうしたい。
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