わたしの家のテレビは家族を分断していた。
その象徴は父のプロ野球中継である。昭和の当時、中継といえば巨人戦である。父はソファにどんと座り、足を椅子にのせて見る。オヤジ臭くて嫌いな姿勢だった。母は野球なんか見ないのでそっぽを向いていた。兄は帰ってこない。わたしは父と母の顔をかわるがわる見ながら、野球も見ていた。
さんざん見たから、けっこう野球はわかるようになった。
王貞治はまだいつ見ても本塁打を打っていた。長嶋茂雄はあまり打てなくなっていた。小林繁の体のしなりはつらそうだった。江夏豊はふてぶてしかった。
父はテレビを見ながらぽつりぽつりと論評を加えた。「これは打てんな」とか「ほお」とか。応援団ではなく解説者然としていた。江川卓が巨人で投げ出した頃「もうできている投手だ」と言った。打者を小馬鹿にした江川卓は、打たれると本気を出して抑えた。わたしは心の中でうなずいたが、父に同意をするようなことはなかった。ただ横目で見ていただけだ。父もひとりだった。
野球中継が終わると父は2階に行った。実際には4階だが居間が3階だったし、家を建て替える前は2階だったので、2階に上がるイメージがあった。父の去った居間で母はほっとして、お酒を飲んで煙草に火をつけた。どちらも父には内緒だったが父は知っており、だが何も言わなかった。
ばらばらの家族を分断していたのが野球中継だった。
時は流れ、2022年、ひょんなことから日本ハムファイターズを応援する身になった。テレビではなくネット中継である。「マツゴウ打て〜」「さすこーん!(さすがはコンドウ)」「BigBoss、奇策はやめろ」とチャットを打ち込みながら応援する。チャットの〝仮想みんな〟とともににぎやかに応援している。
一人で応援しながら、テレビの前のひとり解説者であった父と同じことをしているなと思う。家族の血という歴史をただ繰り返しているのかなと思う。ちがうとすれば、わたしは「ひとの応援団」になれつつあるということだ。あの孤独な家族から少し脱却しつつある、という感触がある。そのことを書きたいと思っている。
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