NHKテレビ小説『ちむどんどん』は思いのほか評判が良くないという。テレビを持たずNHKも観ない私には関心の薄いことだが、視聴者の不満のひとつに、偶然の展開や予想外の展開が出てきてはまとまりがつかず、消化不良になるというコメントを読んで、ピクッとした。
テレビ小説というものは、おおよそ主人公の努力や苦闘、それを克服していく成長を見たいものだ。ところが成長につながりそうなエピソードが出てきては、ことごとく尻切れトンボになるという。
ある視聴者はこうコメントをしていた。ちむどんどんには「出来の悪いドラマの偶然の連続」があると。良質なドラマは偶然は一度であり、そこから疑問が生まれ、疑問が解かれていって必然となる。そのつながりが醍醐味であり、松本清張の小説はまさにそれだと指摘していた。
なるほど!そこで松本氏の代表作の一つ『点と線』を開いてみよう。
東京駅のホームでは特急電車の入線、出発がひっきりなしにある。13番線のホームから15番線の電車が見通せる瞬間は、1日のうちにわずか「4分」しかない。時刻表をひっくり返して刑事はそれを見出した。その4分間の作為と、そこからの疑問でドラマは広がり、九州の海際の崖で心中を遂げた男女にあった偶然の疑問を、刑事たちが解いて犯人を追い詰めていく。
タイトルの〝点と線〟の点とは、東京駅ホーム、九州の香椎駅、札幌駅、そして鎌倉の地であり、それらを結ぶ線とは容疑者のアリバイを崩していく線路や空路のつながりである。点が線で結ばれていき、事実や人生がやがて「面」となって見えてくる。
まさにプロ文である。欧米の推理小説でいえばクロフツの『樽』がお手本だろうが、それをも超える構成力、説得力が松本清張にはある。エラリィ•クイーンはもちろんアガサ•クリスティよりも上である。清張の作品にテレビ小説は及ばないのだろう。そこでふと考えた。
トランスジェンダーこそ、ひとつの偶然から人生を変えていくものだ。
映画『リリーのすべて』の男性は、女性物の靴下を履いた時に自分の中の女に気づいた。私は女性物のジーンズを履いた時にそれに気づいた。そこから人生がどんどん変わっていった。それがワクワクするじゃないですか。人はなぜトランスジェンダーになりたいか?という切り口と共に、トランスジェンダーに気づいてからの人生の変化も描きたいと思った。
ちむどんどんからの点と線で、ひとつ書くべきことを膨らませることができた。
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