エレガントで美しいエリザベス女王が逝去された。そのニュースに接するたびに、厳かな、しかし和やかな気持ちになる。皇室好きとかまったくない自分なのに、不思議であった。多数の市民が半日以上も並んで葬儀に参列しているが、私も事情が許せば最後尾に並びたいと思った。
何がそう思わせるのだろう?
疑問に思っていた時、AppleがWebsiteのトップページを女王の追悼画面にした。私はその美しさに吸い込まれて、自分のPCの壁紙をこの画像にしている。
女王とはパソコンをON/OFFするたびに会う。眺めているうちに疑問が解けてきた。女王の美しさの奥にあるものが見えてきた。それは目であった。女王の目に宿る優しさや思いやりや慈しみ、そして正義心が、彼女の美しさを決定づけていた。
顔にはおのずと美醜がある。顔の大きさや輪郭、肌の輝きや滑らかさ、パーツの大小や彫り具合、配置そしてバランスなどが決定要素だろう。だがただパッチリしていればいいわけじゃない。上手に化粧をほどこせばいいというわけじゃない。インスタには美人がたくさん踊るけれど、アイドルや女優といえどもその美しさに深みがない人もいる。
目は口ほどに物を言うというが、女王の目を見ていて、私の中の美の基準が変わってきた。女性の真の美しさは目に宿る。目にエレガントで貴いな深みがあるか?優しく、強い光が放たれているか?私の美の基準が変わってきた。
男から女になるトランスジェンダーは、女らしく見せることに腐心するものである。男っぽい顔の輪郭や造作を変えたい、肌のきめを細かくしたい、ガサツさを減らしたい…性差のギャップを埋めるのは難しいなと感じる。でも最も変えるのが難しいのは目の深み、目が訴えるものである。
それはジェンダーの差というよりも人間力の差。私は女王のまつげ一本でいいので、あやかりたいと思っている。
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