6月4日は喉の記念日

私の顔はドレープに覆われていた。

ドレープの内側は無影灯に照らされて明るかく、向こう側を影絵のように、医師の手や手術器具あるいは看護師が医師に渡す器具の影が行き交っていた。はっきりとは見えない。なにしろ私は、喉仏を天井に向かって突出するように後頸部に枕を入れられて、手術台の上に横たわっていたからだ。まさにまな板の上の鯉のように。鯉が切られるように、私も喉仏を削られようとしていた。

突出した喉仏、男性のシンボルのひとつを切除する手術を受けた。

ジェンダークリニックの小さな部屋には手術台と麻酔器、血圧計、ガスボンベ、手術具や医療材料が入った棚などがある。ここで喉仏の切除や、豊胸術、睾丸摘出くらいまで実施するのである。取材時に大病院の広くて清潔で高度医療機械が満載な手術室を何度も見たことがある私にとっては、正直、頼りなかった。術後感染症は大丈夫だろうか?もしも何かがあったらどうなるのだろうか?邪想が脳裏をよぎった。

だが決めたことは決めたこと。やってもらおうじゃないの。

意を決した私の喉の部分は消毒されて、ドレープがかけられた。看護師さんがどんな音楽がいい?と聞いてきた。術中音楽である。痛みをまぎらわえるのかな。何が?と言われてもBrandi Carlieとかリヒテルがいいとか、言えるわけじゃない。シンプルに伝えた。

「洋楽を」

切開部分に印を引かれて、局部麻酔をかけられた。ちくり、またちくり。なんのことはないのだが、すぐに切られて、開かれて、削られてが始まった。麻酔は何度も打たれたとはいえ、何も感じないわけではない。喉仏すなわち甲状軟骨に向かって、切除器具を押し付けられるたびに、鈍い圧迫感があった。

いやん、押さないで!

と言いたかったが声は出せない。どうしても痛かったら足をジタバタせよと言われていたが、それほどの痛みではない。喉仏とは軟骨ですと告げられていたとはいえ、肉ではなく骨である。肉を切る以上の手強さがあるはずだ。だからこそ押してくるのだ。

鼻歌は歌えないので、空想しだした。鶏肉の骨についた軟骨ってどのくらいの硬さだっけ?自分の軟骨はそれより硬いのだろうか?歯医者とどちらが痛いだろうか。歯根を深く治療するあの感じが近い。それにしては長い時間がかかる。そんな空想をしていると、右の二の腕に巻いた血圧計を計測するカフが定期的にぎゅーっと締めつけてきた。あたかも看護師さんに腕を握られて、

がんばりなさい。あと少し。

と励まされているかのようだ。ありがたかった。だが押されれば邪念が続く。喉仏の手術は病気ではない。ただ見てくれが男であるから女になりたいから切除してもらっているだけだ。どうしてこんな不必要なことを私はしているのだろうか。なぜ耐えているのか?しなくてもいいどころか、ならなくてもいい反対性にどうしてなろうというか。不条理を感じた。東京の片隅の小さなクリニックで横たわる自分を笑い出したくなった。こう叫んでやりたかった。

ほんとに滑稽!

だが手術は続く。すると医師がふぅーっと息をついた。それほど大変なのだろうか?私は文字通り息をのもうとした。いや喉を動かすのはご法度である。動かしてもわかるから大丈夫だと言われていたが、出来るだけ動かしたくはない。ちゃんと削ってほしいからがまんした。咳払いもしたかったが我慢をした。私は世界一の模範患者になろうと思った。

ほどなく、終わったことがわかった。

医師が縫合にかかった。私は神様に感謝した。終わりましたよと言われて、ありがとうございましたと声が出せた。スムーズとはいえないが話せないことはない。人によっては手術で声が出せなくなったり、声質が変わったりもあるというが、私は少しオネエ声になっただろうか。それは望むところだ。だが脳内がぼんやりとして、おしゃべりをする気分じゃない。

看護師さんが、数日間の術後管理と、鎮痛剤に抗生剤、もしものときの痛み止め坐薬、そして喉を保護するテープのことを説明してくれた。看護師さんに痛みには強い方?と聞かれたので、答えた。

「恋の痛みを癒すのはわりとかかる方です」

完璧にスルーされた。医師が、今日は甲状軟骨が取れましたから6月4日は喉仏記念日、とつぶやきながら、私の軟骨破片を小さな容器に集めてくれた。このままでは腐るのでホルマリンを入れましょう。まるで臍の緒のようだ。私は看護師さんに見送られながらクリニックの門の外に出た。路地に出て、歩む方向は右か左か一瞬迷った。右である。そのときわかった。

私も道を選んだということなのだ。

トランスジェンダーになるということは、自分なりに生き方を選ぶことである。生き方を決めて自立するということであり、自我をついに自分のものにしたということなのだ。本当の自分と世の中を調和させようという意志なのだ。だから胸を張ればいい。ポジティブな思いがやってきた。

切り身にされた鯉のように電車の座席にへばりついて、夕方遅く帰宅した。水分を飲み込むことがつらい。ベッドに横になってしばらくして回復してきたので、牛乳を飲んでみた。なんとか飲み込めた。朝7時から何も食べてないのだから腹ペコ。フルグラを食べよう。少量に牛乳を加えて、柔らかくして口に含んだ。食べれるじゃないか。夜は唾を飲み込むたびにつらく、うなされながら眠った。だが翌日は原稿鉄人になって、午前中から書き出した。自分を褒めてやった。

術後3日目に保護テープを慎重に剥がすと、喉が現れた。想像以上に小さな傷だった。しかも喉仏はかなり平ら。医師は名医であった。絆創膏のかぶれがひどくて、透明なテープ(ミリオンエイド)はやめた。首元がすっきり自由になった。胸元をさらけ出して歩ける。胸を張って生きれる。まだ小さな胸ですけど。

トランスジェンダーは性の一線を超える冒険家なのである。

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