ほとほと今回の便秘には弱った。と言っても私ではなく(^^;)飼い猫のことだけどね。
そもそもさみしがりやで神経質な猫で、私が遊ばなかったり、出かてばかりすると便秘をすることがある。たいていは2日くらい、ところが今回はもっと何日も出なかった。お腹を「のの字」しても出ない。遊んでやっても出ない。死んじゃうかと思った。知人に助言を求めると「オリーブオイルが効くわよ」というので、油をティッシュに垂らして肛門をポンポンするのを繰り返したら、ようやくぽろりと出た(^^)
ほっとして、涙ぐんでしまった。よかったねーと抱きしめてあげた。その時、ふと母の犬のことを思い出された。
母はブリーダーやトリマーまでやった愛犬家で、ずいぶんとたくさんの犬が出たり入ったりした。もっとも多い時で飼い犬も4-5匹いた。歳をとれば犬も具合が悪くなるもので、そんな時は獣医に運ぶのを手伝うのが自分の役目だった。手伝いと言っても、夜中にタクシーを呼んで、一緒に乗って、獣医さんの手術台のそばで眠いなーと目をこすっているくらいだけども。しかし死にかけた犬が助かったとき、母が私に言った。
「あなたのおかげで助かったわ…」
私は何もしていないけれど、母はペットの命が助かったことが、心底嬉しくてそう言ったのだろう。その時の母の気持ちが、数十年を隔てた今、猫の便秘を通じて理解できたような気がした。初めてしっかりとわかった気がした。
もうひとつは父のことだ。
先日、ある名医にインタビューをした。凄腕の医師は親との折り合いがよくなかった。なにしろ猛烈に働くサラリーマンの父である。息子と話す時間もなければその気もない。息子も滅多に口をきかない。だが会話のない父と子なんて珍しいものではない。
私も同じだった。私の父は出張ばかりで家に不在で、馴染むことができなかった。私には家は鬼門で両親と折り合いが良くなく、会話もなく、家から逃亡ばかりしてきたし、ひとりぼっちだったし。それも普通だと思ってきた。
ところがその医師の大学受験の時のことだ。ある事情があって、受かるわけないと思った彼は、合格発表にも行かずに家にいた。電話が入った。父からである。
「お前、受かってたぞ」
息子に内緒で合格発表を見に行っていたというのだ。それで、私の受験を思い出した。私は凡才で高校も都立高の中くらいの群だから、三流大学が関の山、案の定、三流には受かってもそれ以外は、ボトボトと不合格をもらった。ところが志望校のなかで一番偏差値が高いのがG院大学で、神風が吹いたのか「補欠で」受かったのだ。我ながら「すげー」と思って、それを父に告げると、父は外出着に着替え出した。そして言った。
「見に行こう」
皇族がこぞって進学するG院大学は、実家から徒歩の距離であったから散歩のつもりなんだろうと思った。しかも合格といっても補欠だ。親子が無言で、とぼとぼと目白通りを歩き、大学のキャンパスに入り、合格掲示板を見上げた。結局、繰り上げ合格はなく(恐らく寄付金でも積めば合格扱いになった)G院大学には行かなかったのだが。
ずっとそのことを忘れていたが、医師の父の話を聞いて、我が受験を思い出して考えてみた。口下手の昭和ひとケタの父は、父なりに子を褒めたかったのだと思えた。褒めることが、息子との無言の散歩という、父にとって二度とはない「暴挙」だったのだろうと、あれから40年以上も経ってそれがわかって、少しじわんときた。
両親が死んでから何年もたって、ようやく素直になれてきたという皮肉なのか幸いなのか、まあ親と子なんてそんなものだろうと思いますけれども。
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