医師の人間像を描くという仕事をいただいているので、自伝をよく読む。そもそも人間に興味もあるし、自伝の「文の書き方」にも興味がある。ある方からこの本を薦められて読んでみると、内容もさることながら気づきがあった。
『オカマだけどOLやってます。完全版』は能町みね子さんの(たぶん)最初の作品。彼女の書いていたブログが本になったといので最初の作品だと思うけど、これ以上ないほど赤裸々なオカマになる姿がおもしろおかしく描かれている。軽いといえば軽いし、深読みすると重いこともいっぱいあるし、ふぅーっと息をついた。そして思った。
能町さんてすごいな、と。
能町さんのような「体験文」は他にもある。告白ブログからジェンダー論専門書まで、いっぱい。覗き趣味で読むと共感を覚えるけれど、実はどんな告白本も、本になってもそれ一冊で終わり。どんなに良く書けた自伝も一冊しかないでしょう。なぜなら自分の体験で書けるのは一度きりだから。それは文学作品にも通じる鉄則「1冊目は体験で書ける、2冊目は体験だけでは書けない」である。
体験以外に何が必要なのか?能町さんが告白本に終わらず、そのあと作家とイラストで食えるようになった理由は何だろう?かんたんだけど重要なことだ。
“自分のキャラクター化”である。
こういう体験をした〜と書きながら、能町さんは主人公のオカマのOLという自分を「突き放して」描いている。まるで登場人物のように。「そういうのあるある!」「えー!まさか!」という体験で共感を誘う一方、こういうオカマのOLがあたかも存在しているように感じられる。それは、自分を自嘲したり憐れんだり誇ったり大事にしているせいかもしれない。あるいは自分をキャラ化したイラストが随所にあるせいかもしれない。
普遍化のカギは「自分をキャラに仕立てる」ことだ。誰もが知っている『ちびまる子ちゃん』には昭和の家庭や街角の風景がある。彼女やその友達、家族の体験が描かれている。共感できて感情移入もできるのは、作者のさくらももこさん=ちびまる子という体験が普遍化されているからだ。
みなさんがもしも自伝を書こうとするなら覚えておこう。体験をそのまま書く自伝は1回きり、読まれる層は限られると。自分をキャラ化できれば、別のものが書けると。
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