ジョージ•バーナード•ショー(GBS)にこういう言葉がある。
「人生とは自分を見つけることではない。人生とは自分を創ることである」(Life isn’t about finding yourself. Life is about creating yourself.)
私は学生時代、GBSの『人と超人』『分からぬものですよ』などを読んだが、GBSは作品よりも皮肉屋の格言で通っている。「有能な者は行動するが、無能な者は講釈ばかりする」「自由とは責任を意味する。だから、たいていの人間は自由を恐れる」などなど。皮肉屋は映画『マイ•フェア•レディ』の原作者でもある(原作は『ピグマリオン』という)。
映画はオードリー•ヘプバーン主演作で、「お前だって上品な女性になれる!」とナマる花売り娘イライザに、言語学者ヒギンズ氏が上品な言葉と振る舞いを教えて、上流階級の令嬢に仕立てあげる話だ。上流階級の化けの皮を剥がすというGBSの皮肉である。
この作品から「ピグマリオン効果」という言葉も生まれた。「教師の期待によって学習者の成績が向上すること」。ひとはそそのかされた方が良くなるという。さてそうなのか?そこには皮肉を感じる。
上にあげたGBSの名言「人生とは…」を文字通り解釈すれば、ひとは変わろうと思えば努力して変われる、という「ポジティブな姿勢」である。
ポジティブというのは実はクセモノである。
それはひたすら目標を立てて、ガッツリ努力をする「エリート」に多いのだが、その心の底にはたいてい劣等感がある。あるいは親による「やらされ感」がある。その劣等感を退治したい、隠したいから必死で挑戦し続ける。元々地頭が良いので成功する人も多く、教師や世間から喝采を浴びるとまたがんばる。外見は成功者だが、実は劣等感が原点なので「走り続けるしかない」。いつしか、なにかのきっかけで燃料が切れる……
つまり自分の基準ではなく、ひとの基準、世間の基準で走っている。幸せじゃないから走るのだ。だから息がつけないのだ。そこで私はこの言葉を次のように言い換えてみたい。
「人生とはありのままの自分を見つけることである。見つけた自分から新しい自分を創ることである」
自分の幸せ基準を見つけたら、まったく世界がちがう。ホっとして、どっしりとする。幸せになる方に素直に向かえる。それは世間の価値観とは真逆かもしれない。眉をひそめるひともいるだろう。だから失敗するかもしれない。でも自分で決めたことなので後悔もないし、まあいいやと思える。自分もひとも許せる。またやろうかと思える。仕事の品質も良くなるし、ひととの関係も良くなる。
見つけたありのままの自分から、新しい自分を創ることができれば、ぜったいにそれは幸せなのである。なぜなら幸せに向かっているから。
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