最高の人物表現とは「ハレとケを統合させる」ことである。This is 奥義ではないか。
シンガーソングライター、ブランディ•カーライル(Brandi Carlile)の自叙伝を再読していたら、大事なことを知った。アルバム『By the way, I forgive you』のスリーブのフォトがどうやって撮られたかである。ブランディは傑出したアルバムのジャケットデザインに「ありのままの姿」を表現してもらおうと考えた。
ありのままのブランディは二人の女がいると彼女は書く。
ひとりはステージのエンターテイナーである。歌唱力、演奏力に優れ、激しくて深い表現者。高価なジャケットが好きだ。もうひとりは、オフのときの釣り好き、子供好き、DIY好き、馬好き、自然が大好きなレズビアン。けっこう汚い格好である。この二人を撮ってほしいというのが彼女の思いだった。
そこでオバマ大統領の写真家でもあるPete Souzaに「撮りに来てくれない」とお願いした。Peteがその役目にふさわしいのは、オバマ夫人の活動も含めて、大統領のパーソナリティをつかんだ写真を撮ったからだ。
Peteはブランディやその家族、The twins(二人のギターとボーカル)とその家族の家に滞在して、暮らしぶりを撮りだした。そこはワシントン州のド田舎で、広いな敷地にある牧場のような家らしい。ブランディの動画を見るとしばしば出てくる。
考えてみるまでもなく、誰もが二面性をもつ。外の顔と内の顔である。仕事の自分は演出しているかもしれない。家では本当の自分を出して生き生きしているかもしれない。外の演技疲れでぐたっとしているかも。なんにせよ、外と内の顔は別ものではなく、どちらも自分である。外の顔は内からの情熱や期待で作られ、内の顔の美醜は外の世界の出来事で決まる。内と外が表裏一体であればいいが、あっちとこっちで離れてしまうと離人症だ。うつとかのたぐいもそれに近い。
つまり、表現者の顔と生活者の顔とは「ハレとケ」である。その二つの顔には必ず接点があり、接点にその人の表現の本質がある。ブランディの本質とはなにか。それは、3人のメンバーが丘をスキップしたところに見えた。
自然、リズム、叫び、喜び、笑い、仲間、ジャンプ。彼らの音楽の根源が見えた。こうしてブランディ•カーライルの音楽は作られていたのだ。彼らのハレとケを統合した一枚、よくぞ撮った!素晴らしい写真家!
ハレとケがどんなで、どこでつながっているか?それを追い続けて、ひとつのシーンを描ければ、人物像はひとつになる。人物を描く文では、ハレの姿を事実と観察をもとにしっかりと描く。ケの姿を聴いて、ハレにどう影響を与えているか想像をめぐらせる。無意識のうちに趣味や習慣と仕事はつながっているから。そこが見抜ければ人物表現は深く描ける。
写真とはただ単に人を撮るものじゃない。文とはただ単に聞いたことや資料をまとめることじゃない。ハレとケを統合させてナンボなのである。
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