ジャコメッティへの回答

昨日のエントリー「ジャコメッティのモデル」で、彫刻家ジャコメッティが哲学者をモデルに「ありのままを描こう」として苦心惨憺したことを書いた。同じことを文章修行だったらどうやるんだろう?と自分に問いかけたが、その答えがちらっと見えた。

教えてくれたのは医師である。

2021年5月16日放映の『情熱大陸』では、順天堂大学呼吸器外科医、鈴木健司先生がフィーチャーされていた。これがおもしろかった。彼の鋭く、しかしどこかとぼけたように切り込んでくる口調が特に楽しい。難しい肺がん手術に挑む姿はまさに剣士である。TVerで5月23日まで見れるので見逃した方はぜひ。

番組中の手術シーンで、鈴木先生が「ここは膜の内側だろう?」と言うところがある。ハハンと思った。その意味を補足しよう。

肺がんの切除は、肺動脈と肺静脈、気管支動脈を破かずにリンパ節をとりながら進める。リンパもTV映像は捉えていた。ここで出血を起こさずに切るには「無血領域」を進めばいい。それは血管の鞘の内層にある。そこに入るのは最高難度技術であるが、達人鈴木氏は膜に一発でスパッと入る

なぜ入れるのか?それは彼が手術技を磨いただけでなく、剣道の剣士であることもかなり影響している。

昭和の武蔵と言われた達人中倉清範士に学んだ技、入身で相手を交わしつつ同時に相手のフトコロに入って、一撃で仕留める。手術でも同じ姿勢である。かれの手術に迷いがなく、出血もなく、短時間で終わる。それは相手を見切れるからだ。

ぼくはドクターの肖像原稿ではつねに「その人の技の本質」から書くようにしている。技のコアにあるものは、その人生、その人柄を凝縮しているからだ。それをつかんでから書くので毎回苦心している。

そこでわかった。ジャコメッティの書き方も同じだと。

人のありのままを描くには、人をありのまま受け止めることだ。顔の表情、色合い、つくり、シワ…そこには人生が凝縮されている。それを描ければ、すなわちその人すべてが描ける。

言い換えれば、作品を理解することからである。作品(仕事)には作者のすべてが込められている。ジャコメッティがしたことを文で描くとすれば、その作品(仕事)を知ることだ。訴えかけてくるものを感じて、分解して、それから作者におろしていく。作者の前面、側面、後面が描かれていく。これがありのまま文で書くことだと思った。

まだまだ修行は続くが、自分が肖像の仕事で長年やってきたことは間違っていなかった。

※鈴木健司先生は、ドクターの肖像2020年12月号で書かせていただいた。

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