ビットウィーン•ジェンダー

男でもなく女でもないー孤独の源泉のひとつは「性差のぼやけ」にある。

『愛と性と存在のはなし』を読んでから、性差のことを考えている。すべての人は100%男ではなく、女でもない。95%までが男、5%が女、またはその逆で95%まで女、5%が男。これがノーマルな一般ピープルとしよう。5%くらいでは男でいること、女でいることが当たり前で、自分の性差の境界がボヤけているのに意識ができない。だから異性のことがわからない。わからないから諸々の男女問題が発生する。

では風体が男で、中身が70%男、30%女の人がいたとしよう。彼はセクシュアリティでは女を好み、その一方、女というジェンダーを尊重する。女は肯定する対象であり、美しさを求める姿をうらやましいと思う。女性モノを身につけたり、脱毛や剃毛をするのもその現れだろう。ワークアウトもそうかもしれない。逆もまたしかりで、70%女で30%男なら、少女性が融合した美少年を愛するのだろうか。

この社会は二分されている。見てくれも、装いも、好きな色も、就学も就職も、社会規範も、社会のすべてのシーンで男と女が分けられる。そこにフィットしない自分がいる。自分の立ち位置に悩みだす。70%の自分を否定し、30%の自分を肯定すべきか…

解決策は30%を50%にすることなのか。そこで自分の安住地を見つけることだろうか。それが孤独または孤立への入り口になる。ともかくLGBTを尊重しようなどという「ノーマルな人々からの同情」といった単純なものではないことだけは確かだ。

「50-50」という人がいたので聞いてみた。どうやって自分の反対性と向き合うのか?その女の人は歌を歌い、男の歌を歌う時「男装する」ことだという。なるほど「表現すること」はハケ口だ。芸術家の同性愛の多さの説明にもなる。

ギャップはどう作られるか。親子関係や才能の発揮、遺伝からなのか。 ギャップはいつ開かれるのか。成長し、ジェンダーとセクシャリティの違いや、世間と自分の違いを意識するときだろうか。

ひとつ確実なことがある。性差はこれからもっとぼやけていく。30%の反対性をもつ人が増え、いずれ50%になる。ジェンダーレスではなく、ジェンダーフリーでもなく、「ビットウィーン•ジェンダー」の人が増えていく。はさまれてどっちつかず。するとお互いをわかり合うことは、今よりもっとむずかしくなる。孤独感の源泉に性差ギャップがあるというのが、自分にとって価値ある発見であった。

辛子の苗ができつつあります。


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