毎朝続けている「自衛隊体操」に「統制運動」というものがある。なんだかよくわからない姿勢になる。
他の体操の狙いはわかりやすい。屈伸せよ、胸を広げよ、柔軟に、飛べ、などの体操目的がある。ところがこの統制運動は、片腕を上にあげて、もう片腕を水平に伸ばし、重心を低くする。体操として体のどこをどう鍛えるか疑問がある。
これはぼくの解釈だが、「指揮官運動」なのではないかと思う。
高いところを目指して、攻撃を目標を定めよ、前線を破れ!と水平を指す。腰を低くして現場目線も保つ。リーダーとはかくあれ、という心と体の運動ではないだろうか。
ぼくは毎朝自衛隊体操だけでなく腹筋も鍛えている。毎朝どころか腹筋は3セット/日やって、背筋運動も入れて、ますます体が引き締まり、生涯最高体型となれた。達成感で自分じゃないような気がしてきた。
体を鍛えると心も鍛えられ、心のモヤモヤも、うつっぽさも、非達成感も、孤独感も…みんな減ってきたと思えた。以前よりもこだわらない、さっぱりした自分がいた。もうネクラな文は書かなくて済むのではないか?孤絶の詩人の研究も、心の闇を描いた小説家の研究もやめられそうだ。
こりゃいいや…と思っていたが、ひとつ解消できないものが残っていた。
ひとりぼっち感である。
心を開く、交わる、同じ空気を吸いたい。ズドーンと取り残され感がきた。体を鍛えても心が置いてけぼり状態。きっと忙しいからだろう。忙しいと自分は何のために生きているんだろう?と疑問に思う。
そこである人に、軽くひとりぼっち感の悩みを告げるとこういわれた。
「人と一緒にいた方が寂しいこともありますよ」
深い……。
つまるところ、ひとはだれもがひとりぼっち、ひとりで生きれるように強くなれ。エーリヒ•フロムもそんなことを書いていた。別の人に泣きついたりしている弱い自分です、すみません。やっぱりひとりぼっちのことは書かねばならない。自分をほじって黒いものを書かねばならない…
結論。体と心の同時統制運動はむつかしい。
「人と一緒にいた方が寂しいこともありますよ」well said truly indeed!
staying physically and mentally active not only to keep fit but to occupied your mind from the emptiness or the loneliness.
keep it up , praying for you.
Thanks for your comment. It warms me a lot. In the empty mean time I do exercise and wait for somebody to ….