何気ないひとことから広げていくのが私の医師取材文である。
著名なX病院は地方にありながら、国内各地からまた海外からも患者が押し寄せる。そこに勤める医師から話を聞いたが、なぜこの病院を勤め先に選んだのかという質問に、先輩に誘われたというのがきっかけだが、決め手は別にあった。
「この病院は平等なんです」
富める人にも、貧しい人にも、平等に接遇せよーそういう意識が職員にあるのがよかったという。この病院は高層階に特別室もあり、バーラウンジまであるラグジュアリーさ、本当に?とも思うが、その医師には患者に平等に接する人柄が見えるし、世間の評判も良いのでそうなのだろう。
平等じゃない扱いをする病院もある。
ある病院は国保の無料検診者は「午後扱い」になった。昨年度までは企業検診やオプション付きの検診者と同等に、午前でも午後でも検診を受けられたのに、今年度から午後のみのチョイスになった。たぶん検診作業性から病院にとって妥当なのだろう。優良顧客に手厚くするのは当然だ。
けれども節約するのは、エビデンスの乏しい検診項目で大枚を使いたくないのかもしれないし(特にがん検診)、離婚した元妻への生活費払いが負担なのかもしれない。何かのために貯金したいのかもしれない。なにかしら事情がある。悔しいので来年はオプションをつけてやろう……
それはさておき、人と平等に接することは、心を開くひとつの法である。
人が閉じた心を開き、人の中に入れるようになり、充実感をもって暮らせるようになる方法はいくつかある。
たとえば自然を愛でる、肩甲骨を柔らかくする、真に愛せる人と出会う、昔親から言われた言葉の真意をつかむ…などがあるが、人と平等に接する、また人に平等に接してもらうのは、心を開くための土台なのではないか。平等とは、自分も人も一線にあるということだ。職業や貧富や才能の多少を問わず、同じ人間ということだ。同じなら共に歩けて、交わることができる。同じだから許せるし、認められる。
ではどうしたら平等意識を持てるか?それを考え続ける……
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