偉人の幸せ

フランスの作家で医師だったセリーヌの本を読んでいたら、こんなくだりがあった。

おそらく、人の世にあっては、彼は不幸になる定めなのだ。これほど偉大な存在にとっては、ただ単に人間的な感情というものはどれもみな弱さに等しいのだ。驚異を創造せねばならぬ人々は、巨大な運命を燃やす感情的な力を、二、三の特別の情愛に求めることはできない…中略…愛する妻子を存在理由の最も確かな部分とみなすことなど、彼らにはとうてい許されぬわざなのだ。

ここでいう「彼」とは歴史上の偉人だ。彼は生前世に認められず不遇のうちに死んでいった。妻子があったが、家庭での幸せの期間は(あったとしても)短いものであった。セリーヌはその偉人の生涯を評して、偉大なことを成し遂げる人は、家庭人になるのはムリだといっている。

私は勇気づけられた。なぜなら私は立派な家庭人失格だから。人の世にあって不幸である。ひとりぼっちである。かといって偉大ではないので、不遇のうちに死ぬというよりはただ死ぬだろう。ただ作文で「驚異を創造したい」とは考えているところだけは似ている。

自分の幸せは何か。幸せな家庭にいることが幸せだとは限らない。むしろ情愛に溺れてボロボロになって、届かない恋にズタズタになりながら、それでも生きるか…という瞬間に生存実感を持つようだ。なんにせよ家庭人ではまったくない……

離婚して、一人暮らしを始めるために引っ越す時、大量の本と一緒にセリーヌの代表作『夜の果ての旅』を捨てた。その暗闇のような物語の筋はさっぱり忘れたが、エピソードを覚えている。本になる原稿を書き上げたセリーヌは、どこぞの出版社のポストに、その原稿用紙の束を「ばさっと」入れて立ち去ったという。運命にゆだねたのだ。

おそらくセリーヌは、完成させた創造から解放されたあの瞬間の解放感が、幸せだったのではないか。あらゆる偉大な人の幸せはそこにあるのかもしれない。


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