カーテンを模様替え中。新調すると清貧な我が身に高くつくので、メルカリなどでこれはと思ったものを一気に揃えた。我がアパートに窓は二つきりなので、それぞれレースのカーテンと遮光や断熱カーテンのセット。これまでのカーテンは処分するか、改造して玄関カーテンにでもしようか。
そもそもカーテンとはなんだろう。それは扉やついたてであり、室内装飾品でもあった。古代ではベッドの天蓋から布を吊るし、中世ヨーロッパでは当時高価だった窓や窓枠をひだで飾った。隠し、飾り、さえぎる布は、扉のように完全な遮断はしない。形を定常させず、ゆらゆら揺れながら、その機能ー遮光、断熱、調光、防音、防炎などーを実現する。呼吸できる仕切りとも言える。
なぜ私はフランティックにカーテンを変えだしたのだろうと自問した。
まずは部屋を少しはまともにしたいから。前の家から持ってきた薄汚れたカーテン。それは猫がぶらさがってカギ裂きをつくっている。あるいはニトリで一点物アウトレットを買ってきて、ただ下げていた。
そのカーテンは、漆黒の遮光カーテンだった。暗幕のように真っ黒け。
これまでその黒いカーテンを南向きの窓に下げていた。黒い心の変態の我が身にはぴったりだと思って。そのせいだろうか。私はこれまでこの部屋でずっともがいていた。伝えられない自分と、伝わらない相手が、離れ離れに存在していた。常にある種の仕切りが立ち塞がっていた。疲弊していた。その原因はカーテンだったのかもしれない。
私はどうやら気分を一新したいと思い出した。
替えた遮光カーテンは、無地でナチュラルだ。変態な我が身という内側はもはや変えようもないが、変態をナチュラルに包んで生きたいと思い出した。包装紙が変われば中身は変わるのか。変わるかもしれないじゃないか。なぜならカーテンの真の効能とは、そこに住むひとの気分を変えること、心を変えることだから。
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