最後はドストエフスキー

女優酒井法子の主演映画『空蝉の森』が気になっている。2014年に撮影したが配給会社の倒産で公開できず、6年越しの来年2月公開予定。映画は3ヶ月行方不明だった妻が発見されて警察に保護された。ところが家に戻ると夫は「この女は妻ではない」という。もちろん間違いなく妻なのだが、そこには秘密がある……という筋書き。

酒井法子といえば覚醒剤所持で起訴され有罪、執行猶予付き判決。その後介護職になりますと言いながらまっとうできず、女優復帰をしたわけだが、この映画は恐らく「彼女の贖罪」がテーマだろう。

事件のあと世間は「女優やめろー」「子供を捨てて逃避行とは人非人なりー」「介護職をしてろー」と言った。覚醒剤はしちゃいけないし、子供置き去りはもっと悪である。だが彼女は女優でありパフォーマーなのだ。家庭婦人でもなく道徳家でもない。介護なんてまったく全然向いていない。彼女が救う相手はお年寄りではなく、絶望を心に秘める人、人生を泣きたい人なのではないか。

ならば酒井法子はもっともっと人間の狂気を演じればいい。生の人間を演じればいい。それが彼女の女優道だ。罪を償うことは演じることであり、それが罰でもあり、幸せでもあり、運命でもあるのだ。

他人の過ちを道徳家ぶって批判するよりも、自分が生きてきたゆえに犯した数々の罪を自覚して、それに向き合うことをすべし。償いのために自分ができることー演技、文章、音楽…etc.を高めるべし。その償い方を極める姿こそ高潔なのである。

一昨夜、友人と電話で文学論議になったが、作りものの仮面人生で死んだ三島由紀夫よりも、自分の生の穢さに向いあって絶望した川端康成だな、なんといっても「最後はドストエフスキー、罪と罰だ」が結論となった。


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