怪物対怪物だったら…

一昨日の続き。恋愛では怪物対怪物という組み合わせがしばしば起きる。怪物は自らの怪物性を嘆き、相手にその怪物性をぶつけてしまう。その時、相手もまた怪物であれば「傷つきあって倒れるまで」闘う。

よくあるのはDV。普通の人はDVというと、そういう人は避ければいいじゃないというが、DVを引き寄せてしまう性(さが)がある。怪物が怪物を引き寄せるという魔性である。それは僕にもある。この女は怪物だということが本能的にわかっても、なぜか引き寄せられ、あるいは寄ってくる。

ストレートの黒髪をもつA子はのんだくれだった。穴の開いた樽のような酒樽だった。危険を感じて本能的に避けた。僕は臆病だった。

頭脳明晰なB子はビジネス社会でも出世ができたはずだが、癒しを求めて肉食であった。頭脳と肉食のギャップに悩まされていた。そのアンバランスが魅力だったが、やはり僕は臆病だった。

C子と僕は似た者同士だった。癒しを求め合う同士である。これならうまくいくと思ったが、孤独の怪物同士ではうまくいかなかった。

では一般人と怪物の組み合わせはうまくいくのか?いく場合もいかない場合もある。地位や年齢差や人生への倦みの具合によって、うまくいったりいかなかったりする。

では怪物は一般化されうるのか?なんとも言えないが、怪物が自分の中にほんの少しある「普通の人という成分」を出して、一般人と夫婦になっても、いつか綻びるものである。つまり、怪物を怪物のまま受け容れてくれる一般人でなければ務まらないように思える。

そこで聖書の「マルタとマリアの姉妹」の話が思い出される(ルカ書10章38〜42節)。イエスがたどりついた村の家には姉妹がいた。姉のマルタは立ち働く現実的な家庭婦人である。イエスの話を熱心に聞くマリアは宗教の人だった。イエスは二人の特性をそれぞれ見抜いた。そこで問題になるのは、姉か妹のどちらに惹かれるかである。僕は結局妹に惹かれてしまう。そちらは往々にして怪物である。

半影月食とは半分普通の人、半分怪物だろうか…

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