昨日読んだ小説はすさまじかった。
登場人物たちは、自分と同じ匂いのする人を愛することで、人生を崩していく。同じ匂いとは、自分の人生を制御できない生き方である。愛のない結婚をして美しい女を求める男、美しさを鼻にかけて男を渡る女、自分を欺いて結婚して子に粗暴になる女…彼らは制御できないゆえに堕ち、制御できないゆえに自らを罰する。さらに恐ろしいのが、神か悪魔かどちらかわからない登場人物だ。愛することで不幸な男たちに女をあてがう女である。それは救いなのか、それともさらなる地獄への誘いなのか……
小説はともかく、自分を見ても、愛することで不器用なまま生きてきた。愛に不器用だから、普通の生き方から外れてきた。愛のない結婚、道にそれた恋、失敗続きの恋(失恋というのだね)……愛することをきちんと制御できないと、人生を制御できないのはかなり実感がある。
非常にかんたんに言い切れば、善良なる家族から善良なる愛が育ち、受け継がれていく。それは愛のひとつであり、世の中にたくさんあるように…見える。あるのだろう、あると信じたい。
だがそこに、もうひとつ別の愛がある。何かしらが善良でない家族から受け継がれる善良でない愛である。遺伝以外に突然変異もあろうが、ともかくそれは「愛の染色体異常」である。染色体異常だとすれば、何度も不倫するとか、なかなか治らない事情にも納得できる。
そもそも愛とは、人を制御不能に陥れる怪物である。愛することがその人を怪物にしてしまい、相手に向かって「怪物の俺を/私を愛してくれ」という。相手も怪物であるとき、モハヤ怪物対怪物である。ギャオー!傷つけあって倒れるまで戦おう!それならばむしろ、怪物になった人を慰められる「善良なる人」が相手になってほしい。すると怪物は、いつしか善良な顔になっていく…それが救済であり、真の愛なのかもしれない。あくまで、かもしれない…
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