ゆえあって二冊の剣道に関する本を読んだ。そこからの抜き書きをしておきたい。

一冊目は『昭和武蔵 剣聖•中倉清の生涯』、戦前に向かう所敵なしの69連勝を達成し、戦後も骨折を乗り越えて優勝を重ね、88歳まで現役の剣士であった中倉清の伝記である。筆者は剣道もする作家で、丹念に史料を当たり取材を重ねて本書を書いた。
中倉清は八十八歳になっても「先の剣」をとった。相手が子供であっても初太刀を必ず決めた。相手を起こして虚をつくり、そこに打ち込んだ。(『昭和武蔵 剣聖•中倉清の生涯』南日本新聞社 2002年 P2)
剣道指導で海外にも多く渡航し、80代で10年のパスポートを申請したという。その人が88歳の時でも初心を忘れず先手を取った。中倉が強くなったきっかけは合気道を学んだことだ。合気道の始祖植芝盛平の道場を訪れ、コテンパンにやられた。なぜかと問う中倉に植芝はこういった。
きみがわしを切ろうという気持ちが読めている。それだけのことだ。
(同書P109)
中倉清は植芝の足さばきを見抜き、それを剣道に取り入れて強くなっていった。中倉清を知れば知るほど興味が湧いて、もう一冊手にした本が『有信館剣道の歴史と文化』(ブックウェイ 2018年)である。有信館とは中倉清が30歳前後の頃に修行した道場で、今の東京ドームシティのそばにあった。師の中山博道と弟子の中倉清の逸話が軸になっており、剣道の技術論が非常に興味深い。
著者の内藤常男氏は元住友商事の商社マンで、学生時代に一橋大学剣道部で中倉清に習った。リタイヤを機に剣道を学び直し、早稲田大学大学院で剣道をテーマに修士論文を書いた。その論文をベースに著書にしたものが本書だ。リタイヤに先立ち、学生時代にしていた剣道を再開して、金魚のフンのように中倉範士の後を追った内藤氏に向かって、範士はいった。
「そんなに剣道が強くなりたいのか」とお尋ねになられた。勿論ですと答えたところ、先生は「会社で会議等で不愉快なことがあっても、終わる時は上司に自分からきちんと挨拶をして退席しなさい。また周りの人達にいつも自分から挨拶をしなさい。朝に夕に、毎日だ。そして家では奥さんやお子さんたちといつもよいコミュニケーションをとりなさい。それを毎日続けるのだ。そうしたら剣道は強くなる」といわれた。
(『有信館剣道の歴史と文化』P20)
中山博道は「平常心、自然体」ということを常に強調した。どうすれば平常心、自然体でいられるのだろうか。ひとつは「残心」である。残心とは勝負が終わっても緊張をすぐに解かずに、最後まで反撃に備えること」とされる。たとえば『昭和武蔵 剣聖・中倉清の生涯』を某古書店からオンラインで注文したら、僕との間でこういうやりとりができた。
古書店からのメール:「恐れながら、(コロナ)自粛後開催致しました地元デパートでの古書展に出品し、期間中に販売致してしまいました。申し訳もございません。」
僕からのメール:「では他をあたってみます。売り切れとはこれいかに!と一刀両断にはしませんので(笑)ご安心ください。」
古書店からのメール:「残心も悪く、面目もございません。」
このように使う用語らしい。僕なりには「どこか自然でないこと」「心にひっかかっていること」が心に残らないようにすること、と考えている。「良い仕事をする」ことは、残心まで気が配られていることでもある。どうすればキチっとできるのか?中山博道によれば「空(から/くう)の器」になることだという。
「常に己を空しうして人を容れ、人を怨まず、己を責めていくということが剣道で一番大切であろうと思う。そうすると、だんだん楽しい域に達することができる。無論意識を度外視するに非ず、所謂有心の無意のことなのである」(同書P138)
個性を取っぱらえ!と剣豪はいう。個性をとれば師や先輩の教えがきちんと受け入れられる。教えがたまれば上達する。上達すれば個性ができていく。個性ができれば社会の役に立てる。中倉清も「三源一流とは国のために流す汗、友のために流す汗、家のために流す汗」と自分のノートに書いていたという。その汗にこそ個性があるのである。
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