『マリス博士の奇想天外な人生』に書かれたPCRの発明話はおもしろい。しかしこの自伝はそこに真骨頂があるわけではない。読者を読み間違えさせる罪な邦題だ。僕も最初はそのトラップに囚われた。

福岡伸一氏の著書から飛び火して、福岡氏が翻訳したマリス•キャリー博士の自伝を図書館で借りて読んだ。コロナ感染症でその名を世界にとどろかせた「PCR(polymerase chain reaction)検査」、DNAサンプルの任意の領域を数十億倍にまで増幅させる反応検査である。鼻腔から採取されたサンプルにコロナウイルスが存在するかどうか数時間で判明する検査法としてだけでなく、無数の生物学研究の土台となり、事件の現場や法廷でのDNA判定にも使われ、文字通り「世界を変えた発明」であった。
その発明者が変人だというので興味を持った。
サーファー、女好き、LSD、超常体験、さらにはHIVウイルスはAIDSの原因ではないと主張するアウトサイダー。
本書は「デートの途中でひらめいた」PCR発見の第1章から始まる。カリフォルニア州のシータス社(Cetus Corporation)で働いていたマリスは、シータス社の同僚でもあるジェニファーと別荘にしけこもうと(いいな)メンドシノ郡のPacific Coast Highway128号線をドライブしていた。かれの研究テーマはDNAの配列解読を簡単に行う方法である。それこそ死ぬほど考えていたが答えは降りてこなかった。しかしその日、オリゴヌクレオチド(DANの1断片)を長いDNAと一緒に混ぜて、一致する配列を見出し、結合するアイデアが、運転するHONDAシビックのウインドウシールドに映った。
やった!と叫んで、車を止めて、ダッシュボードから封筒と鉛筆をとりだして、アイデアを猛然とかきつけた。ジェニファーは寝ぼけまなこである。これでおれはむろん有名になる。ノーベル賞も夢じゃない……
と確信したが、だれもそのアイデアを良いと言ってくれず、ジェニファーとはうまくいかずに別れて、もやもやしながら論文を書き、一流誌にリジェクトされ、二流誌にようやく掲載されてから、世界が変わった。そしてノーベル賞をゲットする第二章までが、その業績のハイライトだ。
この調子で自伝が進むのか?次の章は科学好きな幼少期の話だ。あーなるほど、そーなのか…と読んでいくと、だんだん奇妙な話が出没してくる。テレパシーを「作った」体験はまだ科学があるが、UFOの話、神秘女との隠微な体験、LSDトリップ、星占い……となると、はて?である。なにをこのひとは書いているの?自伝になってんのかこりゃ……とだんだんキツネにつままれてきた。
自伝とはそのひとの体験が書かれるだけでなく、そのなりたちがすごく重要である。なぜそんなことをしたのか?なぜそう考えたのか?そのひとの深層があるのが優れた自伝だ。だがこの自伝にはそれが見当たらない……。本書のなりたちは、もとはライターがインタビューから書き起こしたものを、マリスが自分で書き直したというから、それで自己中になってしまって、自伝として失敗したのかなと思って本を閉じた。
ところがそれから数日後、突然この本の意図が見えた。
原題を見よ。「Dancing Naked in the Mind Field」心の原野を裸で踊るというのだ。マリスは裸で踊れ!といっているのだ。
心を裸にするから発見のひらめきが降りてくる。心を裸にすれば科学の境界がぼやけて、超常現象や占星術と科学が結びついてくる。ひとの生理が、過去の知識や知見に汚染されず、そのまま見えてくる。HIVウイルスとAIDSを関係づけて儲けようとする製薬会社の思惑もわかる。マリスは裸になれた男なのだ。ゆえにー、
心を裸にせよ!
これがこの本の真のメッセージである。と気づいた。マリス•キャリーという男は超常現象だったのだ。本書を買い求めて、その目でもう一度読んでみようと思う。
コメントを残す