からだにちからが入らない。肩こりか頭痛か、あたまががんがんして、くびがまわらない。足はひきつる。そして動悸がひどい。横になってもつらい。こんなのは初めて。なんだろう?
こりゃ熱中症だ……もうろうとしながら思った。冷やせ、おい。
どこを?どこでもいい。とにかく冷やせ。冷凍庫におしぼりを凍らせたのがあった。昨夏あまりに暑いのでそうしたのだ。それを、あたまにのせたり、くびにのせた。すこし呼吸が楽になった。
スマフォをつかんで「熱中症 冷やす」と検索すると、太い静脈があるところを冷やせという。くび、わきのした、ふとももつけね。だんだん動悸がおさまってきた。だがあたまはまだがんがんする。鎮静剤を飲んだがきかない。夜もねつけない。
うなされながら考えた。人の死は、人生の苦しみとは切り離されて存在する。それはからだの死だと。
この考えは僕には新しかった。なぜなら僕は、人生の延長線上に死があるとずっと思ってきたからだ。失意の果てにひとは死ぬと。ところが死はこうして身近に、かつ具体的にやってくる。失意からでなく器官の危機としてくる。そのことに妙になっとくした。
とすれば、失意を減らし、からだをケアすればいい、と思い当たった。
人生の構成要素が、からだ3分の1、悩み3分の1、幸せ3分の1だとしよう。悩みとからだで3分の2が死に向かうのはじつに苦しい。からだの老化は避けられない。では悩むのをやめれば、からださえケアすればいい。そうすれば3分の2は幸せに向かうはずだ、と思った。正しい計算ですか?
それから、なぜか頭のなかを「ファーストサマー•ウイカ」という名がぐるんぐるんした。冷蔵庫から水分を補給するたんびに、
ファーストサマー•ウイカ、
ファーストサマー•ウイカ、
ファーストサマー•ウイカ…
とせん妄状態で唱えていた。どうやら「熱中症=初めて=夏=サマー」という連想のようだ。なんでそういう名前なんだろう。今朝起きてから、よろよろとスマフォで調べると「正式な英語のアーリーサマーではインパクトが弱いので、あえてファーストサマーにした」「初夏=ういか」は本名だという。
僕も幸せになるため、戒名いやそれはまだ早い、改名しようと思った。芸名をつけよう。なにがいいかなと思ったら「ことば」でいこうと決まった。「ことば」の事業名の命名者は、かつての相棒cherryさんだ。それから「ことばのデザイナー」と称しているが、今日からペンネームはことば。モーロウに決めたので、明日変わるかもしれないが。
ファーストサマー•ウイカさん、なんだかわからんだろうが、とにかくありがとう(笑)こうして原稿は二日遅れ……^^;;
