「New自分」による自己救済

なにかにとらわれて、心が身動きがとれなくなったとき、どうすればいいのだろうか。たとえば、かなわぬ恋とわかったのに恋慕がやめられない。忘れればいいのについ相手のことを考えてしまう。巨大なコンプレックスを抱えて、自ら人格否定をして、ニッチもサッチもいかなくなった、というときにどうすればいいのだろう。

近年の脳神経学や分子生物学の発展で、「心」というものの成分や仕組みがわかってきたとはいえ、まだまだ道半ば。なにしろ心の鍛えかたは、アスリートのトレーニングのように部位別に科学的な方法論が構築されたわけではない。特効薬はお酒か吐き出しか時間の経過か。心のヒダやスキマが「心共鳴装置」で画像診断され、病態メカニズムが解明され、治療法が確立されるまでには、道は長そうだ。

よって、占い、宗教、人生相談のたぐいに頼る。信じる者は救われる。なんでもやってみることだが、長らく人間を書いてきた僕は、別の方法を提案したい。

それは「New自分」づくり。今の自分ではその苦しい状況から離れられない、立ち直れそうもないなら、別の自分を造って、その状況や人間関係から自分を引き離すのだ。小説の人物造形のようなものである。

たとえば僕自身で「NEW郷好文」を想定しよう。新しい自分はどんなやつになりたいだろうか?

>暗い影(ダークシャドウ)はない。加齢シミのことはいうな。
>つねに愉快である。このヤローと怒らず、といってホトケでもない。「愉快な痴呆」というべきか。
>つねに鉄人である。豆腐のように弱い心は捨てた。いつも北国にいる高倉健のような顔をしている。
>女には惚れにくい。それは振られた数々の経験からだ。
>だから女にはきびしい。だが猫にはやさしい。
>弱き人を救うために献血をする。次は10月だ。
>齢の話題は避けて通る。まあそう長くはない。
>白が似合う男でありたい。いずれは白装束だからね。
>古いものに愛着をもつ。最近の収穫は80年代のコーチのバッグ。
>改造自転車にまたがる。たとえ何度職質を受けても。
>SNSはしない。昔の自分とサヨウナラするためにも。
>ついにベストセラーを飛ばす作家となる。多額の印税の税務処理であわてる。
>売れっ子になっても講演は引き受けない。寡黙な高倉健は多くを語らないのだ。ただ「読んでください」とぼそりという。

そういう「New自分」であれば、たとえ恋に出会ったとしても「女には惚れにくい」ので「女が惚れるまで待っている」男なのだ。北国で凍えようとも、愉快な顔をつくって、しもやけになりかけた手を温めてくれる女をひたすら待っている。しぶっ。

とこのように、別の自分を造れば、今の恋は「別の恋シナリオ」にできるのだ。Web時代、ペルソナをつくって演じるのはカンタンになった。変われたらSNSやインスタに再デビューすればよろしい。

そこまでやっても忘れられない、変われないようであれば、お手上げである。「もう、死にたい!」と思うなら、New自分の「死に方」まで決めておけばよろしい。たとえば「冬の凍った窓枠で落ちそうになっている猫を助けようとして、窓から転落して絶命をする飼い主」とか。そうすれば、そういう状況がこないかぎり死ねないのだ。

ニッチもサッチもいかない状況から抜け出すのはむつかしい。演じているうちに地になるものもあれば、ならないものもある。パッチワークのように穴のあいた心に「New自分のワッペン」を貼るといい。それが今できる自己救済なのである。

朝日は必ずやってくる。

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