龍馬のことば「我•生•歩」

文章修行がつらい。なかなか書けない。自分の才能の乏しさを嘆くのはもう何千萬回しただろうか。そんな今日、書家紫舟さんの書家になるきっかけを読んだ。

6歳から書を学び高校卒業まで続けたが、大学では合気道やバイオリンに向かい、そして就職をした。だがあるとき「天職を見つけたいという自分の心に蓋をしたままだ」と気づき、自分は何が好きか、何をしたいかと「自分という玉ねぎ」むきつづけ、ついに何も才能がないと思った。絶望した100日目、残ったのは「書」だった。それから書家をめざすが、酷評された展示会、一人も来ない展示会が続いた。(引用元 日経スタイル『空白の100日 書だけ残る』

転機になったのがNHK大河ドラマ『龍馬伝』の仕事だった。ぼくはこのプロモーションで取材者として紫舟さんに会ったことがある。そのときに頂戴した『龍馬のことば』(朝日新聞出版 2010年)をあらためて開いた。いい言葉がたくさんある。

世の人はわれをなにともゆはばいへ
わがなすことはわれのみぞしる

龍馬が十代で剣術を磨いたころに作句したものといわれる。まだ未熟で未経験だが、「我れ」がやりたいことは自分だけは知っていると意地を張っている。紫舟さんの筆は若かりし龍馬の背筋が見えるようだ。

これは龍馬が姉の乙女に送った手紙からの一文字、「生きる」の「」という字である。そこに紫舟さんは、右に点を打った。「運が生死を分けることが多い時代、龍馬は強運をもっていた」ゆえにあえて打った。「運がついた生きかた」にあやかりたいものだ。

そのためには「歩かねばならない

1853年、江戸で剣術を修行していた龍馬は、同年6月に来航した黒船に対して、土佐藩に雇われて品川沿岸警備に配属された。そのとき龍馬が父に送った手紙に「アメリカと戦争になれば、異国人の首を討ち取って帰ります」としたためた。この日から龍馬の「日本を今一度洗たく致し申し候」という日本を変革する行動が始まった。西郷どんや勝海舟との交友は、とにかく諸国を「歩く、歩く」ことであった。そこから紫舟さんは龍馬の力強い足取りを「」という書で表した。

ぼくなら「文 文 文」だろうか。なんとかいっぱしの文章をひとつでも書いて、紫舟さんに「三文字書いてください」と発注したい。しかし現実は「止 止 止」である。先が見えず、自分のへたさがはがゆい。

唯一(ほんの少し)紫舟さんに近いことをしているとすれば、ぼくも古典に学んでいるということだろうか。彼女は作風を立てるために日本の伝統工芸の作家に弟子入りしたという。伝統の技や精神を学んだのだろう。先人から学び、先人の足跡を歩き、そこに現代を投影する。

我れ、生きて運をさずかり、歩くべし。明日もがんばろう。


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