希望はどこからやってくるのだろうか。それはキュルキュルと鳴く鳥のさえずりかもしれない。それは1通の手紙や、電子メールからかもしれない。
詩人エミリ•ディキンスンに「Hope is a strange invention(希望はふしぎな発明)」という詩がある。原文を挙げよう。
Hope is a strange invention —
A Patent of the Heart —
In unremitting action
Yet never wearing out —Of this electric Adjunct
Not anything is known
But its unique momentum
Embellish all we own —
(#1392)
希望=Hopeが「ふしぎな発明」という意味はなんだろう。第二連で「こころのパテント」とあるが、特許ってここではなんだろう?これらがわかれば、この詩は読みとれる。
この詩が書かれて、手紙で送った相手はヒギンスン大佐という、ディキンスンが「師として」友好を温めた作家である。本も出し、出版界に通じるヒギンスンに、ディキンスンは長年、手紙で(実際に会ったこともあったが)詩作の教えを乞うていた。長い期間ずっと師弟関係をもちながら、結局かれはディキンスンの詩をまったく理解できず、詩の出版はかなわかった。実に悲しいことである。
もちろんディキンスンも、最初のうちから大佐が自分の詩が読めないことを知っていた。だが彼女は、自分の住む小さな村ではない世界に住む、自分の詩を読んでくれる批評家を求めていた。無駄だと思いながらも、小さな光をもとめて、彼に詩を送ることをやめなかった。それが彼女の希望だったのだ。
そこで、トーマス•ジョンスンの『エミリ•ディキンスン評伝』にあるこの詩の翻訳を引用しよう。(P211)
希望は不思議な発明
心の特許
けっして休むことにない行為なのに
使い果たすことがないその電気のような付属品は
なにもわかっていない
その独特の運動量は
わたしたちのもつすべてのものを 捕飾しているけれど
申し訳ないが、この訳ではさっぱりわからない。
希望とはなんだろうか。たとえばアフターコロナでダイエットをする、眉を描き直す、新しいブラウスを着るーそんなことでも希望である。鬼コーチからのたったひとことの励ましでがんばるのも希望だ。音沙汰ない恋する相手からの、そっけない連絡文書だって希望となる。発生源やメカニズムは謎であっても、希望は私たちに明るい効果をもたらす。
ディキンスンは「希望とは発明品である」という。発明とはたいていつくるものだ。あるいは見出すのも発明だし、それを磨いてやるのも発明である。つまり「自分から発明する」ことをしないと希望にはならないという。
この前提から、わたしが訳してみよう。
希望とはふしぎな発明品
心へ搭載される特許
途絶えることのない
けっして摩耗しない動きその電気的補助品のことは
なにも知られていない
その独特な運動量は
我ら自らを輝かせるのに
ディキンスンは牧師さんにけっして成就しない恋心を長年いだき、それとかぶる期間に、自分の才能をけっして理解してくれないひとと師弟関係を結んでいた。この10数年は、どんな思いだったのだろう。それが凝縮されているのがこの希望の詩であろう。ディキンスンの希望とはこうした孤独から生まれているのだ。
孤独だからこそ、小さな希望に敏感なのだ。孤独だからこそ、小さな希望を大きくできる。孤独だからこそ、暗闇でも煌々と照らすことができる。この詩の感想をひとことで結びたい。
希望とは孤独から生まれる発明品。だから儚く、だから尊い。

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