多難の今こそ鴨長明『方丈記』を読むべし。コロナで苦しむ境遇など笑い飛ばし、新たな挑戦もできる。

古文の教科書に載る書を読むのは、作家の平野啓一郎氏が最近読んだと言っていたから。彼はこんな感想を述べている。
火事・竜巻・飢饉・地震という不幸のオンパレードで人が死に続け、結局は「社会の安定を目指さない」という、近年提唱されてきた「持続可能な社会」とは正反対の認識に達している。(平野氏のインタビューより)
ぼくは少し違う感想をもった。まずは方丈記の内容に触れよう。
1177年、平安京の都に大風が吹いた夜、大火があって京都の三分の一が灰塵となった。1180年には大きな竜巻が何百という家をなぎ倒した。新しい生活様式をと遷都をしたが、それが大失敗、風俗も悪化し住民は不安を抱いた。天皇はすぐに京都に帰った。さらに飢饉で土地は荒れ放題、伝染病がはやり浮浪者が溢れ…
この世の天変地異を嘆く書だとうっすら記憶していた。その通りだな…と読み進めていくと、あにはからんや、だんだん笑いがこみあげてきた。なぜだろう。鴨長明氏が嘆く嘆く、愚痴る愚痴る、それがおもしろいのだ。こりゃあ不平不満、うっぷんばらしの書ですよ。
24節で、人間世界なんて暮らしにくいものだ、たよりにならないものだ、としみじみ書く。続く25節で、自分の官位の低さを嘆き、貧乏だし、みなりは悪いし…と卑屈になるわ、引越し先ではひとに馴染めず落ち着かないわ。しかも他人のお世話をすると、その人への愛情がわいてしまって、こころの自由がなくなる、というひねくれぶりだ。28節では、60歳となり晩年をすごす小さな家を建てたが、ほんとに狭くて、天井も低くて、河原の近くだから洪水が怖い…とまたしても嘆く嘆く(笑)
果たしてかれは真面目に書いたのか?ユーモア書であって、当時の読者は、これを読んでゲラゲラと笑ったのではないだろうか、とさえ思った。とにかく格調高い随筆として読めなかった。どうもすみません。
だが待てよ。表面では嘆いて愚痴をいうが、鴨長明氏の視線はどうだろうか。本質を見据えて、人生はそんなものよ、と達観しているようだ。いちばんぐっときた33節を引用しよう。
おおかた、世をのがれ、身を捨てしより、恨みもなく、恐れもなし。命は天運にまかせて、惜まず、いとはず。身は浮雲にならずへて、頼まず、まだしとせず。一期の楽しみは、うたたねの枕の上にきはまり、生涯の望みは、をりをりの美景に残れり。(33)
(現代語訳)いったい出世遁世してからは、他人に対する恨みもないし、恐るということもなくなった。命を天の支配にまかせているのだから、惜しんで長生きしようとも思わないし、また生きているのが嫌になって、早く死にたいとも思わない。我が身は空に浮く雲、あてにしないし、不足と考えない。一生の楽しみは、うたた寝をしている気軽さに尽きる。この世の希望は四季折々の美しい風光を見ることに残っている。
鴨長明氏は、晩年きらびやかなものを捨て、小さな方丈ほどの広さの草庵を愛した。方丈とは、四畳半ほどの広さのことである。そこに住まい、「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」と書いたわけだ。有為転変は人間の嘆きだ。だが水のなかにいる魚は、水にいることを嘆いていない。不安定のなかでも泳ぐ。いや不安定だからこそ、楽しく過ごす泳ぐ方法がありますよ、というのだ。
鴨長明は心底からニヒリストだったのか、それとも正反対のオプチミストだったのか。読んで呆れて笑いがでるほど嘆いてみせたが、己は揺るがないものをもっていた。だから晩年にして、生きる処方せんである方丈記を書けた。彼は最後まで人生のチャレンジャーだったのではないか。
かくいうぼくも、方丈のアパートで猫と共に日々過ごす。そこで昨日はひとつ挑戦をした。Photoshopだ。新しく名刺を作ろうと、慣れないアプリに挑戦した。それなりのものができた。嘆きも不平も挑戦も、同じひとつの方丈の家にあり。だから楽しい。人生とはそんなものなのだ。
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