東日本大震災への追悼は、コロナ騒動という津波に流されたが、25年前の1月17日に発生した阪神•淡路大震災はどうだろうか。本書を読んで改めて気づかされたことがいっぱいあった。

『心の傷を癒すということ』(安克昌著 作品社)は、神戸大学の精神科医の安氏が、自らも被災しながらも、全国から集まった精神科医のボランティアを組織し、精神科救護所、被災者避難所でのカウンセリングや診療を行なった記録である。
大地震のような災害での救護活動は、赤十字社が行うように①避難所の確保、必需品の確保、②自立への支援、③経済的復興支援、④メンタルヘルスとされ、心のケアは後の方になる。だが生き残った者が、ただ体が不自由でなければ生きられるというものではない。
たとえば「震災後マニー」と呼ばれる躁病がある。
地震後はしっかりしているのが、だんだん水がない、食べ物がないと、興奮して落ち着かなくなる。余震が心配だと、町中を駆け回って買い物をする。あるいは震災が日本経済に与える影響や政治のことをしゃべりまくる人もいる。強い不安が気分を高揚させる躁病である。
被災地から遠くに離れる方がむしろ、被災地にとどまるよりもストレスを感じるという。
たとえば1974年オーストラリアでのサイクロン災害で「同程度の衝撃を受けた人たちのなかでのストレス作用は、残留者が最低、立ち退いたままの被災者が最高だった」(本書P167)。それは被災地にはコミュニティがあったからだ。コミュニティから離れ、自分の思い出からも離れ、新しい被災地住宅で周囲とギャップを感じて生きなければならない。それが強いストレスになる。
では被災者をどう扱うのが<癒し>になるのだろうか?
被災地にはもれなく<心のケア>ブームがやってくる。ボランティアによる救護活動や生活支援、巡回面接や子どもの面倒、電話相談、パンフレット制作、芸能人の慰問活動である。西部警察の焼きそばもありましたね。これらが<心のケア>なのだろうか?それはありがたいが、そうだと言い切れないのが安氏の思いである。
真の心のケアは、そうした活動の中に<心のケア>を組み込むことだという。
被災して愛する人と死別した人の悲しみは大きい。嘆くばかりか、助けられなかった自分が悪かった…と自分を苦しめることもある。そんな人に「死別の悲しみを癒す10の指針」が役立つ。
1、どのような感情も全て受け入れよう。
2、感情を外に出そう。
3、悲しみが一夜にして癒えるなどとは思わないように。
4、我が子と共に悲しみを癒そう。
5、孤独の世界に逃げ込むのは、悲しみを癒す間違った方法。
6、友人は大切な存在。
7、自助グループの力を借りて、自分や他の人を助けよう。
8、カウンセリングを受けることも悲しみを癒すのに役立つ。
9、自分を大切に。
10、愛する人との死別という苦しい体験を意味ある体験に変えるよう努力しよう。(本書P119)
この中では「感情を外に出す」のが有効だろう。出させるためには「聞いてあげる」ことだ。そうすることで「PTSD/心的外傷後ストレス障害」も和らぐという。精神科医に限らず、一般のひとでもできる「アクティブ•リスニング」の基本は次の通りである。
聞き役に徹する。
話の主導権を取らずに相手のペースに委ねる。
話を引き出すよう、相槌を打ったり、質問を向ける。
事実ー考えー感情の順が話しやすい。
善悪の判断や批評をしない。
相手の感情を理解し、共感する。
ニーズを読み取る。
安心させ、サポートする。
とりわけ「事実→考え→感情」の順で、「何が起こったか」「どう考えたか」「どう感じたか」を聞くと被災者は話しやすいと安氏は書く。こういう<心のケア>の作業を、安氏ら精神科医は被災地で行なったのだ。被災地支援活動には<心のケア>活動、「聞いてあげること」を入れよう。本書の教えを、次の災害まで忘れずに覚えておきたい。
目下のコロナ騒動も、見えない恐怖心に駆られて情報を求め、議論をし、あるいは黙る人がいる。流言飛語にだまされて買い占めをする人もいっぱいいる。人間は弱いものだとつくづく思う。「事実」はタチの悪い風邪であり、風邪ならば誰もが引くものであり、なあんだそんなことか、と笑い飛ばせばいい、と僕は思っていますが…

卓上小型扇風機を当ててやろう。
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