「徳川家康」はものすごい。

山岡荘八著「徳川家康」正味の読書期間は4-5ヵ月だが、読み始めから読了までには10ヵ月を要した。学ぶことは無限大。人物造形、情景描写、対話や問答、ウラのウラまである洞察、広範な調査やその整理と構築力、なによりもたったひとつのコンセント「殺すものは殺される、生かすものは生かされる」で、家康の生前から生後まで何千ページを描き切った筆力。18巻末にある「余話」と「随想」には、「足掛け18年描き続けた」とあった。書くことで山岡荘八は生かされた。ものすごい。

山岡荘八は、通説であった徳川家康のイメージである「狸じじい」「鳴くなまで待とうほととぎす」といった「俗説」を転覆させんと考えた。それがこの小説書きの動因だが、それをあげつらうことはムリなので、ひとつ、家康が死ぬ間際に残した遺訓をあげたい。

「われ天寿まさに終わらんとすれども、将軍、天下を統(す)ぶるがゆえに、憂うることさらになし。然れども、天下は一人の天下にあらず、天下は天下の天下なり。もし将軍の政道理にかなわず、億兆の民艱難することあらば、誰にても取って代わるるべし。四海安穏にして、万民、その仁恩に欲すれば即ち可(よし)、我においておささかも怨みに思うところなし」(「徳川家康」18巻 P138)

ひとつは「儒学(儒教)」。これが日本の道徳という背骨(はいこつ)になった。武士は食わねど高楊枝という姿勢(武士は支配者であるがゆえに身を慎め)や、商人道徳の「売り手良し」「買い手良し」「世間良し」の三方良しもそうだろう。

もうひとつは仏教の「無所有の思想」である。「生まれるときも裸、死ぬ時も裸」この世での所有ははかない錯覚であり、すべては天からの預かりものであるという。欲ボケのカルロス•ゴーンよ、よく聞きなさい。預かりものゆえ、みんなのために活用しなければならないのである。

「預かりものゆえ、無駄な使用は厳禁する」
「領地も預かりもの、領民も預かりもの」
「財物も預かりもの、自然の山河も預かりもの」

同じ教えを山岡荘八は、徳川家の知恵袋であった柳生宗矩にも語らせている。

「この世にありとあらゆるものは、実は誰のものでもない。誰のものでもないものは、みんなのためのもの。これを勘違いして我が所有と思い込むところに争いの芽が生える」(同書P153)

共産主義とか資本主義とかいった「思想」ではなく、もっと心の底から湧き出る「人としての本心」。生も死もままならない。それなのに人びとは欲しがり、憎しみ合い、競い合い、戦い合う。戦い済んで日が暮れて死屍累々となってから、ようやくその本心に還って、ああ皆同じじゃないか、我々はなんと愚かなんだろう、承認欲求についての本なぞ読んでいる場合か、ということに再び気づく。こうした愚かさの繰り返しが輪廻転生という。

小説の作法でも、18巻に収録された「随想徳川家康」が非常に参考になる。その項目を挙げよう。

無法時代
国造り人造り
家康の性格
失敗者家康
家康をめぐる女性
家康の母と祖母
戦国人の宗教
昨者の夢
地球は病む
運命の5月8日
歴史と人間

無法時代と国造り人造りでは「士農工商」の真の意味を解く。武士だけでなく社会全体を描くぞ、という意気込みがあった。そして家康の性格分析や失敗体験、女と母と祖母という女に弱かった面をつぶさに洞察した。当時の宗教が戦争とどう関係したかも描いた。史料や世評を鵜呑みにせず、作者なりに家康を巡る疑問をあげ、フィクションとしての人物創造に高めていった。

この随想は要するに作者の「構想メモ」である。人をいかに分厚く描くか、深く描くか、時代背景をおきつつ、現代に通じるものをあぶりだして、読者のものさせる。そして第二次大戦後日本の国造りに投影させる「新しい精神」を込めた。だから歴史物語を超えた永遠に続く書になりえた。

本書と吉川英治の「宮本武蔵」は、戦争と平和の二大金字塔である。剣豪小説でもなく、歴史小説でもなく、人間成長物語である。読むそばから忘れる現代小説やこむつかしい芥川賞小説なぞ閉じて、ぜひ読もう。なぜなら、ものすごいから。

誰か専用書架をくださらんか…(昭和42年の発売、まだあるのだろうか?)


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