突き抜けよう!

春はあけぼの、夏は夜、秋は叙勲の季節である。

ドクターズ•マガジンで連載する「ドクターの肖像」、2019年11月号は免疫学者の坂口志文先生である。坂口氏が文化勲章を受章というニュースを見た。ノーベル賞の吉野彰氏や狂言の野村萬氏ら、大きな功績のあった人々と並んで清々しい顔で写っていた(一番右)。

制御性T細胞の発見者、免疫学の教科書を書き換えた男の記事を書くのは手強かった。こちこちの文化系ゆえ、理論の理解や発見の経緯もさることながら、その研究と人柄を重ね合わせることに腐心した。

研究成果とは、従来の免疫寛容(自己を攻撃しないメカニズム)や「自己と非自己」という概念(自分ではないものに反応するメカニズム)をベースにした自己免疫疾患のメカニズムに、制御性T細胞すなわち「T-reg」という概念を持ち込み、それを見事に発見し証明したところにある。

簡単にいえば、体内へ入ってきた異物を攻撃する細胞に、撃ち方やめ!と指令を出すのがT-regであり、その産出が減ったり弱くなってしまうことで、自分を攻撃する免疫自己免疫疾患がひどくなるというものだ。手近な成果では、花粉症を抑える舌下免疫療法「シダキュア 」があるが、今後、従来の医薬品や治療法を次々とひっくり返していくことになろう。

坂口氏の人柄はどんなだろうか。頭脳明晰で超然として動じない男である。滋賀県生まれの近江弁、語り口はやんわりとしつつも、常に核心をついてくる。言葉の裏に含まれる意味も重く深い。1977年頃に着想した制御性T細胞のコンセプトが認められるまでには、20年以上の月日が必要だった。その間「プー太郎のような」時代もあった。「まだそんな研究をしているのかね」「そんな考えは馬鹿げている」と罵倒もずいぶんとされた。だがずっとぶれることなく研究一筋だった。「暗黒時代でしたか?」と聞くと、ふっと笑ってこう答えた。

「そんなことはない。認められないからと、腐っておったわけじゃない」
「30代で認められたいなんて(みなさん)考えませんでしょう」(ドクターの肖像より)

坂口氏は人間界を突き抜けていた。同じく本日、歌手の水前寺清子さんも旭日小綬章を受章された。そのインタビューを読むと、彼女もまた突き抜けた瞬間があった。

「三百六十五歩」は、くじけそうな心を支える“人生の応援歌”として歌い継がれてきたが、水前寺さん本人は実は最初、この曲を歌うことに抵抗感があった。1968年、録音スタジオで三百六十五歩のマーチを初めて聴いた水前寺さんは「運動会の歌?」と尋ねた。(一部改変 元記事

まさか自分の歌とは思わなかったという。着流に演歌のヒット歌手が、運動会ソングなんて……。しようがねえとヤケくそで演歌調に歌ったらそれがよかった。苦しいときに元気付けられる歌詞、パンチのあるワンツーのリズム、負けないぞ!の明るさこそ、大衆が求めていたものだった。

「最初は歌いたくなかった曲が、今では誇りです」

大衆に気に入られようとへつらうわけではない。社会が欲しているものと自分を重ね合わせる度量を出すことだ。自分の個性を捨てるわけではなく、自分だけのこだわり部分(ニコゴリのような部分)を切り取って、そこに「社会」や「世間」を置いてみる。だれかが感謝し、聴いたり歌ったり、読んでくれたらありがたい。そうできるには「突き抜け」がいる。

ぼくの次の仕事は「突き抜けよう!」がテーマである。突き抜けたところから振り向いて自分を見たい。どんな顔しているだろうか。

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